貨幣の流通 

金は天下の回りものといいますが、あれは嘘ですね。だって、私のところにはまるで回ってきませんから(笑)。

貨幣経済は合理的で便利です。今はカードなど「物としての貨幣」を用いない決済方法も盛んですが、私などは大半が小銭ジャラジャラです。
物々交換よりも便利は便利ですが、貨幣の持つ冷たい感じは、どこか非情でもあります。近松門左衛門作品の男たちはしばしば金(と女)で苦しんだようです。お大尽にとってはたいていの望みを満たせる、文字どおり打出の小槌ですが、小市民は「金が恨みの世の中」ということが多かったかもしれません。今も同じでしょうか。
貨幣なんて金属に刻印を捺しただけのものに過ぎず、それをかじったところで腹の足しにはならないのに、誰もが価値があると認めることで文字どおり

    価千金

と化します。
だからこそ、二貫目の金ゆえに心中に至る者あれば、男の一分と見栄を張って他人様の為替金の封印を切る者もあるわけですね。

平安時代にも、貨幣はある程度流通したようです。
貨幣は中国が先輩。有名な「開元通宝」(621年)があり、日本にも伝わりました。そしてそれをモデルにして7世紀には「富本銭」が鋳造され、8世紀にはいると、あの

    「和同開珎」

も造られました。その後「皇朝十二銭」といわれる12種の貨幣が10世紀にかけて造られます。ただし、全国に同じように流通したとは思えません。というより都会のみ、都かせいぜいその周辺で通用しただけではなかったのでしょうか。それでも、都には市(いち)が立って多くの人々が買い物をしたようですから、貨幣はやはり便利だったでしょう。

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『竹取物語』では、かぐや姫を見つけたあと、竹から金を得たために翁は富豪になります。貨幣ではなく、金そのものです。かぐや姫に求婚する男の一人である阿部右大臣はかぐや姫から求められた「火鼠の皮衣」を手に入れるため、大量の金(砂金)を中国商人に送り、さらに品物が高価なので追加料金を請求されます。金の価値は「両」という重さの単位で表され、右大臣が追加で送ったのは

    「金五十両」

でした。定九郎や与市兵衛ではありませんよ。両には大両と小両という二種類の計り方があったのですが、大両の一両=約37.5g(小両だと約14g)で計算すると五十両は1875g。今、金1gは5000円くらいなので、(あまり意味のない計算ではありますが)単純計算すると937万5千円ということになります。これが追加分ですから、一体阿部右大臣は何千万円使ったのでしょうか。また同じ求婚者の大伴大納言は要求された「龍の首の珠」を家来に探しに行かせる(最後は自ら海に乗り出す)のですが、その時に路銀として「絹、綿、銭」を配っています。銭が流通していたからこそ配ったわけです。
藤原道長は金銀2000両ほどを盗まれたことがあります。蔵に入れておいたものらしいのですが、75kgくらいですね。金と銀なので、ざっと1g3000円で計算すると2億円あまりでしょうか。桁外れのお金持ちです。
道長と同時代人で昨日ご紹介した「かぐや姫」の父親である藤原実資は宋の医僧から薬(その一部は「かぐや姫」のため)を砂金十両で買っています。375gであれば200万円くらい? 保険は利かないので大変です。

さて、銭なのですが、藤原道長時代は米一石(60kg)が

    銭1000文(一貫)

の価値があったといわれます。この値段は馬一頭、絹一疋(おおむね着物2着分)、太刀二振りとほぼ同じです。藤原実資は「かぐや姫」とは別の娘(実資が若い頃に生まれた最初の娘)の三日の産養(うぶやしなひ。子の誕生を祝う宴席)で数十貫の銭を引き出物にしています。
ただ、貨幣は素材の銅が不足したりして質が落ちたりして次第に信用を失っていったようです。
貨幣より米。やはり食べるものが大事なので、物品貨幣ともいわれる米(や塩)はその後もお金の役割を持ち続けたものの、貨幣の本格的な流通はまだ先のことになるようです。

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