60年目の曽根崎心中(補) 

私は、昨年大阪フェスティバルホールで上演された、原作本文による『曽根崎心中』(鶴澤清治作曲、杉本博司演出)を会場では観ていません。おそらく私の身体的能力では観賞に堪えられないだろうという思いとそれに比してあまりに高い

    チケット代

にひるんでしまったのでした(後者が大きな理由だったと思いますが)。結局私は、NHKがスーパーハイビジョンで録画した映像を、ナレッジシアター(グランフロント大阪)でおこなわれた上映会で拝見しただけなのです(無料だったし)。
記録映像は会場で観るのとは違ってアップで舞台を捉えますから、人形の動きがいろいろわかってそれなりにおもしろく拝見しました。しかし会場で、特に遠い位置からご覧になった方々はどうだったのだろう、という思いも抱きました。東京ではもっと小さな舞台だったそうですからまだしも、2500人規模の会場ですから、

    オペラグラス必携

だったのでしょうか? 人形はある程度離れて観る方がいいので、あまりアップにしてしまうとそれはやはり機械のように見えてしまうこともあります。でもやはり離れ過ぎたるは及ばざるが如し。

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近松原作に戻して、ということにこだわりもあったのでしょうが、学術的にはともかく、そのことで演劇としてどこまで魅力が発揮されたのか、気になっています。
近松の言葉に執着するのは学者のさがでもありますし、それはそれで大事なことです。私も古典文学を読むとき、可能な限り原作に迫りたいと思います。ただ、そのことと舞台で上演する場合の本をどうするかというのは100%一致する話なのか、私はどうにも納得がいかないのです。
ある三味線弾きさんが(当然演者の立場から)、近松の道行に関して

    「いらん尾ひれ

がつく」とおっしゃっていました。原文尊重派のかたからすると「いらん尾ひれ」とはなにごとか! となるのかもしれませんが、演じる立場からはなくもがな、というところはあるのだろうと思いますし、私も原文を読んでいてこの三味線弾きさんに同調したくなることがあります。
西亭の脚色、作曲が完璧だとは申しませんが、あまり込み入った話でもないこの作品を、大夫さんが

    さらさらと語る

ようにできた本として、曲としてもっと尊重されてもよいのではないかと今のところは思っているのです。

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