自由な社会に(2) 

普通選挙をしているから国民の声を聴く民主主義は完全に機能している、というのも私は違うと思っています。選挙は最低限の意思表示方法であって、選挙=民主主義というのは詭弁ですらあると思っています。
選挙は謹んで市民の意見を拝聴すべきものであるはずが、実際は権力者がガス抜きをするためにおこなっているように思えることがあります。選挙で民意が示されたのだから、ということで、あたかも全権委任されたように振舞う政治家もいます。マスメディアも選挙結果を無視することはできませんから同じように言いますが、

    勝てば官軍

というのは違うと私は思っています。
選挙以外に民主主義を実現する方法がなくなってはいけないと思います。私も最低限の「民主主義」を実践するために選挙には行きますが、実のところ、選挙したあとにはほとんどの場合

    むなしさ

が残るのです。
大体私はあまのじゃくなので、当選しそうな候補者に入れることがめったになく、言い換えると私が投票した人はたいてい落ちるのです。この十年くらいの国政選挙で投票して通った人は一人だけだったと思います。
選挙が不完全なら、ではどうすれば少しでもまともな民主主義の道にたどり着けるのか、わたしにはそういう難しい話はできませんが、かろうじて思うのは「ものが自由に言える社会」を作ることだろうと思います。
政治家も役人も、言葉は悪いですが狡猾に情報を小出しにして人民を誘導し、世論を作ろうとすることに長けていると思います。政治家に求められているほんとうに重要なことは「徳」なのでしょうが、そんなことを言っていては選挙にも通らない=政治家にすらなれないのかもしれません。
「品」とか「徳」とか、そんな古臭いことを言うな、とおっしゃる方もあるのかもしれません。しかし私はやはりこの大時代なことばは無視できないものだと思っています。

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1990年代にノーム・チョムスキーが書いた『メディア・コントロール』は邦訳が集英社新書に入っています。
チョムスキーというと、私などは言語学者で「生成文法論」の大先生というのがまず頭に浮かぶのですが、彼はその一方でメディアや政治に関する著作も多く、いわゆる論客として知られています。
この小さな本は、しかしながら刺激に満ちています。
彼はこの中で、民主主義の概念は「一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会」であるとした上で、次のような全く正反対のことを言っています。すなわち、「一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは

    一部の人間

のあいだだけで厳重に管理しておかなければならない」というのが民主主義の「もうひとつの概念」であり、「実のところ優勢なのはこちらのほう」で、「この考えは昔から実行されてきただけでなく、理論的にも通用してきた」と言っているのです。今の日本の「民主主義」もこの「優勢」な部類なのではないか。
よその町のことではありますが、大阪の府市再編構想のような行政の問題が、大半の人が十分に理解しないまま住民投票にかけられ、有権者数でなく、投票者数の過半数で決まるというのはなんとも危なっかしい。一見すると「一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもって」いることになるようですが、ほんとうにそういえるのだろうか。それを

    「民主主義による決定」

とする考えは実は危険なのではないか。大変危ういことを大阪市はやろうとしているように思えてなりません。
チョムスキーはこんなことも言っています。「私たちは自由な社会に住みたいのだろうか。それとも自ら好んで背負ったも同然の全体主義社会に住みたいのだろうか」。

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コメント

財政のちがい

維新のかたがたは、大阪市が「都」になれば、東京都と肩を並べて、あたかもいろんなことができるように宣伝しています。わたしは、肩を並べられるのは、名前だけになるのだと思うのです。

たくさんの大企業をかかえていることから巨額の税収があり財政が豊かな東京都と、借金を背負った大阪市。大阪市が名前を変えたからといって、東京都のように財政が豊かになることにはならないからです。

そこで収入を上げる目玉はカジノというわけですが、カジノを作ればすぐさま海外からのお客が押し寄せてくるというわけでもないのです。すでにあるマカオやシンガポールなどのカジノよりも魅力を出すためには、宿泊施設はもちろんのこと、さまざまな大型投資が必要になります。そのためにまた借金をしなければなりません。リスクはとっても大きいのです。

大型カジノを作ること自体が大阪市(都)にとって、リスキーなギャンブルになるのです。その大型投資。失敗したらどなたが責任をとるのでしょうか?

♪やたけたの熊さん

私は大阪府が「都」になることはないと思っているのですが、なってくれたら京都府が全国唯一の「府」になって格が上がりそうです。子どものころ、「1都1道2府42県」(当時は沖縄県がなかったので)と覚えましたが、これからは「1府1道2都43県」でしょう。京都府、すごい!
経済のことはまるでわからないのですが、私もカジノは大阪市などの手には負えないように思えてなりません。おそらく賛成している議員も「親分が言うんだからできるやろ」という程度の認識でしょう。国破れて山河あり、になりませんかね。

都(みやこ)

都(みやこ)とは、天皇のおわすところですよね。ふたつの都って、そもそもどうなんでしょうか? 

♪やたけたの熊さん

おっしゃるとおり、本来は「宮こ」で、天皇の居所のあるところです。
「みや」の「み」は「霊」、「や」は「屋」で、霊力のある建物、「こ」は「そこ」「かしこ」の「こ」で、場所を示します。神聖なところ、ということです。
ただ、「みやこ」は東京だけでも「と」はそうとは限らず、制度上は「都」と名乗りうるとかいっていますよね。
しかし、1300万東京都民は「あほか」と言うのでは? 東京だから「ばかじゃねえ?」でしょうか。
私も「恥ずかしいからおやめ」と言いたいです。

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