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図書館長 

大学教員は、研究と教育一筋、というわけにはいかないのです。以前も書きましたが、最初の短大ではいきなり学生部の役職を命ぜられて、わけがわからないままバタバタとその仕事(大学祭、新入生キャンプ、学生生活の快適化全般)をこなしました。学生と大学との架け橋になるということで若手教員が担当することになっていたのですが、それでも新米にはきつかったですね。
もうひとつ、大きな仕事だったのが

    公開講座

でした。おりしも「生涯学習振興法」のできた頃で、学長が敏感に反応して推進されましたので予算も出ました。なかなかいい学長でした。そこで私も声をかけられて、企画室と一緒になって微力を尽くしたのでした。その第一回は広島らしく「平家物語の世界」。私は「小督」のお話をして、厳島神社に受講者の皆さんとご一緒して神社と平家の関係や卒塔婆石、さらには

    『平家納経』

について宮司さんや学芸員さんにお話をうかがったりしました。また『船弁慶』に『千本桜』をからめて「ゲストに文楽の太夫さんを呼びませんか?」と提案したところ学長もおもしろいと言ってくださいました。さっそく若手の太夫さん(今や60代の立派な方です)にお願いして遠路おいでいただき、お話を伺ったあとで実演もお願いしました。その翌年は「詩」をテーマにして、私は和泉式部のお話をしたほか、友人の松平盟子さん(歌人)をお招きしてお話をうかがいました。この時は短歌を詠むのが好きな学生がいましたので、「あこがれの松平さん」に引き合わせました。松平さんも喜んでくださり、学生も自作についてのご意見を賜った上、サインまで頂戴して感激していました。

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次の短大は、残念ながらそういう勢いというか、迫力のないところでした。高校教諭を定年で辞めた人を大量に教員として採用していまして、ひどい言い方になりますが、彼らの多くは隠居仕事。学問的雰囲気は少なく、新しいことをしようという活力にも欠けていたのです。私は、地域の人から愛される学校にしないと先がないと思ったので、大学祭を

    地元に開き

ましょう、公開講座もしましょうと訴えたのですが、上層部はにやにやして聞き流すだけでした。そのくせ、経営者たち(いわゆる理事)は無駄としか思えないことにお金を使って、自己満足していました。まだ短大が学生であふれる時代だったので、自分たちのやりたいようにやる、という発想しか持てなかったのでしょう。四年制大学に移行する案だけは出てきましたが、経営者の打ち出してきた学部は時代遅れそのもので、話はつぶれてお金と時間を無駄にしました。10年ほどして公開講座も開催するようになりましたが、なぜもっと早くしなかったのか、今なお理解できません。すべて10年遅れた学校でした。
私はこの学校で役職をするなら企画広報部長(不思議なことにそういう役職は実在しませんが)か

    図書館長

くらいかな、と思っていました。図書館長になったら予算を取って、古い文献を写真に撮ってHPで公開すればいいと思っていました(今やそういう大学はいくらでもあります)。しかし国文科がなくなった上、能力的に無理と思われたようで声もかからず、その夢も消えてしまいました。
あの広島の短大にあのままいれば、と後悔しても、もはや意味のないことですけれども。

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