六条わたり 

『源氏物語』は都の最高の身分のひとたちが登場する物語です。光源氏は天皇の息子、紫の上は親王の娘、頭中将と葵の上は左大臣と内親王の間の子、女三宮は天皇の娘、といった具合です。当然屋敷は豪邸です。
当時はほぼ110メートル平方の土地がひとつの区画、すなわち「町」となっていて、最高級の貴族はこの町ひとつ分をすべて自分の屋敷にしていました。ざっといって4000坪でしょうか。藤原道長の土御門第(今の京都御苑内にありました)はその二倍の大きさで、私の家よりいくらか大きいです。いくらか・・・。
そして彼らの多くは大内裏に近い

    一条から四条

の間あたりに住まいを求めました。さらに、右京ではなく左京に住んだのです。道長邸も一条と二条の間で鴨川の近くです。左京も左京、左の端っこです。
今でも京都は右京より左京の方がにぎやかですが、平安時代中ごろには右京はあまり好まれませんでした。そういえば、東寺は今も残っていますが、西寺はとっくに廃寺になってそのままです。
慶滋保胤という人が

    『池亭記』

という書物を残しています。その冒頭で、左京の賑わいと右京の廃れ具合を描写しているのですが、左京の一条から四条がいかに高級住宅街であったかも書いています。といっても、庶民階級がそのあたりには住まなかったというわけではありません。上流階級の人たちに奉仕する人たちは当然そのお屋敷の近くに住んでいたのです。
それにしてもやはり五条、六条あたりになると下級役人や庶民の家が多くなり、伴大納言絵巻の登場人物である右兵衛舎人などは七条の長屋に住んでいました。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

光源氏が夕顔と出会ったのは乳母の病気見舞いにいった時でした。それが五条あたりで、高齢の乳母が隠居暮らしをするところにふさわしいと思います。その隣家に三位中将の娘でありながらいささか零落している夕顔が暮らしており、光源氏がこの掘り出し物(という表現は不謹慎かもしれませんが)の中流女性を見つけ、アバンチュールを楽しむ場所と設定されているのです。さらに光源氏が夕顔を連れ出した「なにがしの院(某お屋敷)」は人もいなくて庭も荒れていました。これも二条や三条では考えられないと思います。
光源氏は夕顔に夢中になったため、この当時の彼の愛人であり、本来彼がしばしば通うべき「六条わたり(六条あたり)」の女性のところに足が向かなくなります。彼女はその住まいによって、

    六条御息所

と呼ばれる人です。大臣の娘で元皇太子妃。きわめて高貴な人です。ところが皇太子が早世し、二人の間に残った子が女子であったために世間から離れて住むようになったのです。六条という都の中心からかなり離れた屋敷で隠居暮らしのようにしていたのでしょう。それにしても、五条の上流階級でもない女性に夢中になったためにそこが

    

になって光源氏が六条の上流女性のところにたどり着かない、という描き方はおもしろいです。この「堰」を妬む気持ちが六条御息所に高まり、そのせいか、夕顔はこのあと「なにがしの院」であやしげな霊に襲われて頓死するわけです。
源氏物語を読むとき、登場人物がどこに住んでいるか、というのはかなり重要です。私はいつも六条御息所の話をする時にはこの「六条」というロケーションと、夕顔の屋敷との位置関係についてしっかり説明することから始めるようにしています。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3458-9618ce07