半時浄瑠璃 

杉山其日庵の『浄瑠璃素人講釈』は、ひと言で紹介するなら、竹本摂津大掾、竹本大隅太夫(三代目)らの芸話を通して義太夫節の「風(ふう)」を考究した著作といえばいいでしょうか。
いかにも「政界の黒幕」「右翼の大物」らしい、鼻につくほど偉そうな物言いもする其日庵ですが、言い換えればその

    痛快な語り口

が魅力にもなっているだろうと思います。正直に申しまして私はこういう人を友だちにしたいとは思いません(笑)ので、昔の人であってくれてよかったです。摂津大掾に稽古してもらう時にもいかにも「旦那様」らしく、どちらが師匠なのかと思うほどずばずばと物を言ったようです。もちろん大掾の稽古は容赦なかったようですが。
私はもう義太夫節の善し悪しはわかりませんが、必要があって『浄瑠璃素人講釈』の「合邦」のところを読んでいたのです(以下、引用は岩波文庫)。するとそこに

    半時浄瑠璃

という言葉が出てきました。半時というのは今でいうと1時間ですね。つまりこの「合邦」なども1時間で語るものというのです。摂津大掾が其日庵に「浄瑠璃も段々下落致しまして、私どものような下手ばかりとなりまして、昔の半時浄瑠璃、今の二時浄瑠璃となってしまいました」と語ったそうです。あの摂津大掾が(といって聴いたことはありませんが)「下手ばかり」のうちの一人なのですね。この「二時浄瑠璃」は初出雑誌(『黒白(こくびゃく)』三十一号 大正8年10月)では「一時浄瑠璃」となっていたそうで、どちらにしても2時間のことを言うようです。つまり昔の名人が1時間で語っていたものを今の「下手」な太夫は2時間かける、ということです。2倍は大げさとしても、時間をかけずに立派な語りをすることが大事なのだということでしょう。

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其日庵は「太夫が未熟不鍛錬のため、講座に上ったら休む工夫ばかりをしているから、コンナ事になるのである」「「合邦の段」を今の一時間と十五分位以上掛ったら、満足に語れておらぬ」「一時間三十分以上も掛ったら、聴衆を半殺しの目に合せ、給金ばかり高く取るのは

    この芸道の大罪人

と云わねばならぬ」などと言っています。なんとも痛快です。
玉手御前は偽りの恋をしかけて、それを両親にも語るのですが、其日庵によると、その部分は腹を割らないで本気で俊徳丸への恋情を訴えているように語る、というのは大間違いだそうです。
聴衆が、玉手の訴えを聴いて、腹の底では深い考えがあるのだろうと聞き分けられるように語るのがよいのだというのです。同じように、「熊谷陣屋」でも、熊谷を「心に限りなく多情を含まれて、全身に涙の満た人」として語らねばならないと言います。
このほかにも合邦の怒り、玉手の嫉妬、手負いの玉手の告白、そして大落しへと、

    此太夫風

という言葉を使いながら説き続け、その上で「半時浄瑠璃」として語らねばならないというわけです。まさに寸分の隙もない語りをしなければならないのでしょう。此太夫風と言っているのは、この段の初演が二代目竹本此太夫だという其日庵の理解によるようです。ただし、岩波文庫の解説によりますと、初演者についての記録は残っていないそうです。
だらだら時間ばかりかけてもダメですよ、と言われると、私自身の勉強の仕方に思い当たる節もありますので、なるほどそうだと思わされたのでした。

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