九条殿遺誡(くじょうどのゆいかい) 

春になると北斗七星がきれいです。おおぐま座の一部であるあの柄杓の柄(え)を、うしかい座のアークトゥルスやおとめ座のスピカにつなげると「春の大曲線」を形作り、星座がさらに広がりを見せます。その北斗七星で思い出したことがあります。
平安時代の貴族はだらしない生活を送っていたように思われるかもしれません。毎日夜中まで飲み食いして、ろくに政治家らしいこともせず、

    親の七光り

で「貴族でござい」といっているだけではないか。そんなイメージがあるかもしれません。しかし実際はそうもいかないのです。漢詩漢文をはじめ和歌も故実もしっかり勉強しなければなりません。年中行事があまたあり、日々の課題をこなし、突発的なできごとにも対応しなければなりません。ただし、それでもなお、ぐうたらに陥りがちなのが人の常です。九条殿と呼ばれた、右大臣

    藤原師輔(ふぢはらのもろすけ)

は、子孫がそうなることを恐れて「必ずこれを守りなさい」という厳しい戒めを残したのです。それがタイトルの「九条殿遺誡」です。師輔はあの藤原道長の祖父にあたりますが、道長から見たら父親以上に威厳のある存在だったのではないでしょうか。この「九条殿遺誡」の中に「毎朝こういうことをしなさい」という戒めがあります。

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★属星の名を唱えなさい
★鏡で顔の状態を見なさい
★暦を調べて吉凶を確認しなさい
★楊枝で口の中をきれいにしなさい
★西向きになって手を洗いなさい
★守護仏の名を唱えなさい
★尊崇する神社に祈りなさい
★前日のできごとを日記に書きなさい

というのです。歯磨き、手洗い、顔色チェックは今でも通用しますね。日記を毎朝書けというのも注目されます。こういうことの積み重ねが役に立つという考えがあったのでしょう。実際、貴族の日記は個人の覚書というにとどまらず、子孫がそれを見て故実を学ぶ教材にするという面もあったようです。
日の吉凶を調べるというと、今なら毎朝星占い、干支占い、ニャンコ占い(笑)などを見てから仕事をするのに当たるでしょうか。神仏に祈るというのはわかりますが、もうひとつの「属星の名を唱える」というのは何でしょうか。
当時は北斗の七つの星のいずれかの星を自分の

    属星(本命星)

とする考えがありました。子年生まれは貪狼星(たんろうしょう)、丑年と亥年生まれは巨門星(きょもんしょう、こもんしょう)、寅年と戌年生まれは禄存星(ろくそんしょう)、卯年と酉年生まれは文曲星(ぶんきょくしょう)、辰年と申年生まれは廉貞星(れんていしょう)、巳年と未年生まれは武曲星(ぶきょくしょう)、そして午年生まれは破軍星(はぐんしょう)が属星とされたのです。
柄杓の器の方からの順番で、今ならドゥーベ、メラク、フェクダ、メグレス、アリオト、ミザール、アルカイドともいわれる星です。
皆さん、毎朝のニャンコ占いのついでに「ろくそんしょう〜」などと唱えてから仕事をなさってはいかがでしょうか。

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