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勘弥さん(2) 

勘弥さんは先代勘十郎師匠が亡くなったあと、もうやめてもいいと思ったことがあるとおっしゃっていました。
文楽の師弟関係というのは、私の世界の師弟関係とはまた違った濃密さがあるのでしょうね。なんといっても、足遣いのときは師匠のからだにぴったりくっついて演技をしますし、楽屋は当然同じ部屋。舞台以外の仕事でも師匠について行くことが多いのでしょう。
先代勘十郎門下には勘寿、勘之助(小道具さんになった和田さん)、もうひとりの勘之助、勘士朗、勘弥、勘緑、勘市といったお弟子さんがいらしたのですが、辞められた方も多いのです。
勘弥さんは結局簑助門下となって

    十色会

を率いる役割を果たし、平成の若手人形遣いとして少しずつ地歩を固められたのです。
私が始めて拝見した頃は当然ツメ人形でしたが、さすがにそのころはどの黒衣さんが勘弥さんなのかわかりませんから、結局は30代半ばの頃まで事実上知らなかったというに等しいのです。
左遣いの修業をなさっている頃に、十色会ができたわけですが、あれはほんとうに意味のある会でした。
玉男師匠、簑助師匠が指導をされ、私も稽古場にうかがったことがあるのですが、その時は玉男師匠はいらっしゃらなかったのですが、簑助師匠がほんとうに一生懸命身振り手振りを交えて教えていらっしゃいました。
文吾さん、勘寿さん、勘十郎さん(当時簑太郎)、清十郎さん(清之助)らもいらっしゃっていて、中でも勘十郎さんが青春ドラマの

    竜雷太

かと思わせるほどの、たいへんな熱血指導をなさっていました。
文吾師匠は簑助師匠がいらっしゃるのでいくらか遠慮されていたような気がしますが、立役に関してはアドバイスを送っていらっしゃいました。

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勘弥さんも、指導者ではなかったわけですが、やはり後輩に対しては積極的に話しかけていらっしゃったのが記憶に残ります。
勘弥さんは『絵本太功記』の操もなさいましたし、『菅原伝授手習鑑』の千代もなさいました。それがどうですか。この4月は本公演で操、来月は「野崎」のおみつ、6月は『曽根崎心中』のお初。20年前の平成7年にドーンセンターで観たあの操を、本公演でなさっているのです。あの頃勘弥さんが「師匠の年代になって(簑助師匠とは20年余りの年齢差です)

    主役クラス

の役は遣えませんというわけにはいかない」という思いを語っていらっしゃいましたが、まさに20年後に主役クラスを遣っていらっしゃるではありませんか。
どこかばたばたしていた初期の十色会でしたが、それがきちんと結実しているのです。
私はこの四月の勘弥さんを、その意味では

    特別の感慨

をもって眺めています。いや、はっきり言ってしまいます。実はそのお姿を見て涙を浮かべてしまいました。
涙腺、弱くなってます(笑)。
文楽は長い間続いてきた伝統芸能です。しかし我々が短い人生の中で出会える芸は限られています。私は山城少掾も文五郎も紋十郎も知らない。でも越路大夫も津大夫も先代勘十郎も知っている。しかし切語りの咲甫大夫を見ることはできない。
そういうことを考えますと、同世代の技芸員さんには特別の感慨を持つことがあっても不思議ではないと思っています。南都さんにもどうか、もっといい役場を!

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