なりおほす 

このあいだ、やたけたの熊さんと某所で(ネット上です)新・玉男さんがどうもまだ優男の雰囲気が出ないようだとお話ししたのですが、これは玉男さんご自身がよくわかっていらっしゃることのようです。
先代は熊谷のような人物もよかったのですが、治兵衛とか忠兵衛などもなんだか頼りない人物像がよく出ていたように感じます。二代目はその点、今後の課題とされるのだろうと思います。
熊さんとこのお話しをした時に、私は襲名には二段階あるのではないかと申しました。
第一段階は、例えば玉男なら

    玉男になる

という段階。今回の玉男襲名などはまさにそれだろうと思います。技芸も充実して、先代の名を汚すこともなくむしろ将来に期待を持たせてもらえるようになった段階。そしてもう一段階、

    玉男になりおおせる

段階があるのではないか、とも思うのです。その時にこそもはや揺るがぬ二代目となるのではないか。
それは何も先代と同じことができる、という意味ではなく、むしろ先代とは違った新しい玉男像を作り上げた時に成し遂げられることなのでしょう。
二代目は骨太な演技をさせるとさすがというほかはなく、私も大好きです。ただ、優男になるとどうにも固くて、堅くて、硬くて。先代も二代目(というか玉女さん)に向かってそういうことをおっしゃっていたようですし、二代目も意識されているだろうと思います。先代のとおりでなくてもかまわないわけで、二代目ならではの優男が見られる日を楽しみにしています。

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おおす(古語では「おほす」)というのは、本来は人に背負わせることです。「仰せになる」というのは、「命令を人に背負わせる」ということ。それが動詞の連用形に付いて「〜しとげる」という意味で用いられるようになります。「果す」という字を当てることもあるようです。
五十歳で襲名された勘十郎さんは、人形を大きく見せることや人物の心情の微細な描写もすばらしいのですが、私は

    首の動き

で勘十郎になりおおせたのではないか、と思っています。たとえば『女殺』の与兵衛。きょときょとしたり、ぐっと睨みつけたり、心配そうに振り返ったり。この首の動きで性根を見せるスタイルが新しい勘十郎なのだ、と。どんな人形を持っても勘十郎さんは首を自在に動かして(あるいは動かさずに)人物を明確に見せてくださっているように私は感じています。
二代目玉男さんには先代とはまた

    違った優男像

を見せてくださると私は嬉しいのです。「先代そっくり」というのもいいのですが、「ほう、二代目はこうするのか」というのもまた可なり。
そのために、たとえば芯の強い女形(主に老女形)を二代目に当てるようにするのも制作の工夫ではないかと思います。時代物の尾上や玉手御前、世話では紙屋内のおさんなど。悪役では岩藤や八汐もありますね。
今回の『時雨炬燵』ではその意味でおさんはどうだろうかと思っていたのです。次の『心中天網島』の時は和生の孫右衛門、勘十郎の治兵衛、清十郎の小春に玉男のおさんというのはどんなものでしょうか?

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