軒もる月 

二世豊澤団平師の「武蔵野の月はものかは」という短歌を読んでいて、その下の句にある「軒もる影」からふと樋口一葉の『軒もる月』を思い出してしまいました。
一葉の作品は今読むと難解です。「現代語訳」がほしいくらいです。しかし原文の、明治の香りの魅力も捨てがたく、『十三夜』など音読するのが楽しいくらいです。「お月見の真似事にいしいしをこしらへて」という文を読んで「いしいし(おいしいもの。団子)」ということばを覚えたくらいです。

    浄瑠璃の文章か

と思うくらいリズムもきれいです。
七五調でなくてもこんなリズムのきれいな文章が書けるのか、としみじみ感心してしまいます。
そういえば『十三夜』は新作文楽の演目にもなったことがありました。
芥川龍之介の作品も

    朗読にはうってつけ

ですが、一葉のものも難しさがなければ学生に朗読させたいくらいです。
『軒もる月』は一葉の作品中ではあまり有名ではないので、ごく簡単にあらすじを書いておきます。

桜町家で小間使いをしていた袖は、今は結婚して子どももいます。誠実な夫は子どものために残業をして少しでも収入を増やそうと頑張っています。桜町家の殿はかつて心を通わせたこともあるのですが、およそ身分が違います。それでも、殿は袖の結婚後も何通もの手紙を送ってきました。しかし袖はそれを読むことすらしなかったのです。読まないことで自分を律したつもりだったのですが、腐った心を捨てなければそんなことをしても何にもならない、それはむしろ卑怯な振る舞いだったと思うようになりました。そこで、隠し置いた十二通の手紙を取り出し、それを読むことで自分の心をためそうと思ったのです。

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次々に手紙を開いては読む袖。外は霜夜で犬の遠吠えが聞こえるばかり。突然何かが胸に響いたかと思うと、袖は「殿、夫、子、それが何ものなのか」と高笑いをします。そして散乱した手紙を掲げて「殿、今こそお別れします」と言って破り、炭火の中に捨ててしまいます。「嬉しい、私の執着も残らなかったよ」と眺めていると、月が洩れてきたようで、軒端にはすがしい風の音がするのでした。

「袖」「軒もる月」というと、藤原定家の

  梅の花匂ひを移す袖の上に
    軒もる月の影ぞあらそふ(新古今集)
   (梅の花が匂いを移す袖の上に、軒から
    洩れて、月が梅と争うように影を落と
    している)

が思い出されます。
これは『伊勢物語』第四段および『古今和歌集』747にある話をもとにした歌です。男(古今集では在原業平)が情を交わしていた女(藤原高子とされる)が一月十日ころにあるところに行ってしまい(入内したこととされる)、翌年の春にかつて彼女の住んでいたところを訪ねて

  月やあらぬ春や昔の春ならぬ
    我が身ひとつはもとの身にして
    (月はあの月ではないのか、春は
    昔の春と異なるのか。我が身ばか
    りがもとのままで)

と詠んだ話です。
手の届かない人への思い。いくら心を通わせても身分が違う。どこかで断ち切らなければならない。
袖は誰のことも憎く思っていません。殿も、夫も、子も。しかし、それがいったい何ものだと言うのか、と突き放した時に誰からも支配されない自分に向き合い、もっとも素直な行動として、手紙を破って燃やすということができたのでしょうか。こういう思いを経験したことのある人は少なくないと思います。
短いお話です。これを短編浄瑠璃にできないだろうか、とまた思い始めています。

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コメント

観月会

タイトルとはちょっと違いますが、中秋の名月に薬師寺の観月会に行って参りました。オペラ歌手による歌が奉納され、月はそこでは見えなかったのですが、風情のある夕べになりました。

♪野崎小町さん

曇りがちの夜でしたからね。でもオペラの夕べということで、うらやましいです♪

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