命蓮参上(1) 

文楽『菅原伝授手習鑑』は申すまでもなく菅丞相(菅原道真)の物語。右大臣にまで昇進した菅原道真は、しかしわずか2年後には斉世親王を皇位に就けようとしたとの罪で大宰権帥に左遷され、そのまま都に戻ることがなく、西国で朽ちます。その後都では時平をはじめ、その周辺の人々が次々に亡くなるなどの異変があります。これが

    道真の祟り

として恐れられるようになり、とどめを刺すのが清涼殿への落雷です。
『菅原伝授手習鑑』でも、五段目「大内天変」で落雷があり、左中弁希世と三善清貫は雷に打たれて死に、菅秀才が家を再興します。
落雷の経緯については『日本紀略』という史書に、次のように記されています。
延長八年(930)六月二十六日の午三剋(およそ午後1時すぎ)に愛宕山の上に黒雲が立ち、にわかに雷鳴が轟きます。そして

    内裏清涼殿

の未申(ひつじさる。南西)の第一の柱の落雷し、火が上がります。昇殿していた大納言藤原清貫は衣服が焼けて胸が裂け、即死。右中弁平希世は顔が焼けて倒れ、運び出されますが結局亡くなります。あまりの出来事に上を下への大騒ぎとなり、醍醐天皇もついに病臥してしまいます。

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事はこれで収まりません。天皇の病状は好転せず、快癒祈願の読経がおこなわれたりします。しかし五月からしばしば見られた

    客星

の現象も思い合わされ、事態は深刻になります。客星というのは、普段見えない星が現れてしばらくして消えるものです。このときは羽林星の位置に見えました。
天皇は七月十五日には咳病を併発し、同じ日には流れ星が確認されます。この月に予定されていた相撲節会は中止、八月には鳩が集まる異常があり、これを陰陽寮に占わせると「凶」という結果が出ました。もはや予断を許さない状況です。
次々に僧が召されて祈祷をおこなったりしますが、なかなか効果は出ないのです。そんなとき、大和と河内の国境の山に住む僧を呼んで祈祷させようということになったのです。これについては

    『扶桑略記』

という史書に次のように書かれています(原文は漢文体です)。

  修験の聞こえにより、河内国志貴山寺に
  住する沙彌命蓮を左兵衛の陣に候はしむ。
  加持の為に御前に候ふ。

という記事です。
修験の評判が高いので、河内国の志(信)貴山寺に住む命蓮という僧を招き、加持をさせるというわけです。

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