山崎街道(1) 

新幹線で京都から大阪へ行く途中、阪急電車と並走するところがあります。私は東から帰ってくる場合、逢坂山トンネルを抜けると「ああ帰ってきた」と思いますし、そのあと阪急電車が見えると「もう目の前だ」という気分になります。
京都府乙訓郡大山崎町から大阪府三島郡島本町、阪急の駅でいうと

     「大山崎」「水無瀬」

のあたりです。
サントリーの山崎工場がありますが、さすがに郡部だけあってのんびりしています。すぐ目の前を桂川〜淀川が流れていて、対岸(淀川左岸)は橋本、そして石清水八幡宮のある男山です。右岸の大山崎は天王山も目の前。こうなるともう古典文学にも文楽にも、いろいろ出てくる地域ですね。西国街道はこのあたりを中心に

    山崎街道

と言うようで、文楽『仮名手本忠臣蔵』の五段目の早野勘平と千崎弥五郎との出会い、謎の男(のちに斧定九郎と知れる)の二つ玉でもおなじみです。
街道を歩いていると歴史のある道ということが分かります。史跡があり、古い家があり、道には歴史の香りが立ち上るのです。
私は以前、西国街道を京都から神戸まで歩く、という事を企てたのです。もちろん一日で歩くのではありません。今日は山崎辺り、次は箕面近辺、さらにその次は伊丹や西宮という具合に分断しながら歩いたのです。
先日、その企画以来久しぶりに大山崎から水無瀬まで歩きました。

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今勉強している『信貴山縁起絵巻』の最初の巻は一般的に「山崎長者」または「飛倉」と呼ばれます。そこで、写真を撮っておこうと思ったものですから、たまたま仕事が一段落した午後、仕事場を飛び出したのでした。
昔、飛鉢法(ひはつほう)というのを身につけた修行者は、鉢を飛ばして托鉢しました。自らは山の中にいたままでよいので、修行に障りません。
山崎の長者のところに信貴山で修行する命蓮(みょうれん)のところから鉢が飛んできます。それに米を入れて返せばよかったのに放置していたものですから、鉢が米蔵を持ち上げて信貴山まで飛んでいくという痛快な話です。ところが、この絵巻物の詞書の元になったと思われる説話には山崎という地名は見当たらず、ある本には

    「山里」

という言葉のみ出てきます。「やまざと」と「やまざき」はきわめてよく似ています。あるいは本来は信貴山の麓(=やまざと)の人物だったのかもしれません。それが山崎と写し間違えられて定着したものかも。
それにしても、山崎から信貴山の間にはかなりの距離があります。ほぼ真南ですが、直線距離でも30kmでは済まないのです。実際はくねくね曲がった道もあるでしょうから、一生懸命歩いても丸半日はかかるはず。なかなかスケールが大きいのです。もとは山の麓の長者であったのが、山崎にかわることで面白みを増したのではないかと思います。
信貴山縁起絵巻のこの部分は、実は

    詞書がない

のです。つまり、この絵巻にはやはり長者の住まいを示す言葉は出てこないのです。それならなぜ山崎と言えるのか、というと二つの理由があります。『諸寺略記』(さまざまな寺について簡単に記したもの)という史料にもこの話が出てくるのですが、そこに「山城国大山崎村有巨富家」(山城の国、大山崎村に巨富の家あり)とあり、この長者の住まいが特定されています。もうひとつの理由は信貴山縁起絵巻の絵の中に山崎を示すらしいものがうかがえるからです.私はそんな理由で出かけたのでしたが、それについてはまた書きます。

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コメント

橋本ちがい

「双蝶々曲輪日記」に出てくる橋本は、山崎からみて淀川対岸にある八幡市橋本なんですね。

おバカなわたしは、南海高野線で高野山を目指すと手前にある橋本だとずっと思っていました。

♪やたけたの熊さん

木津川と桂川が合流し、川の流れが緩やかなあたりですね。三十石の乗り合いの人たちも「あれが男山、こっちは水無瀬」と眺めを楽しんだのでしょう。夢の通い路でこざいます。
右岸は西国街道、左岸は京街道。山崎の渡しがそれをつないでいました。
私、やはり二百年遅く生まれてしまいました。

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