梅の実 

麦秋ということばはなかなか趣があります。「ばくしゅう」「むぎあき」どちらでもいいのですが、小津安二郎の映画は「ばくしゅう」ですね。俳句の季語としては「麦の秋」ともいいます。

    麦秋や子を負いながら鰯売り(一茶)
    野の道や童蛇打つ麦の秋(子規)

申すまでもなく、麦の収穫期ということで、今ごろの季節です。
小津映画『麦秋』ではラストの麦畑のシーンがとても印象的でした。人間は成長して老いていってまた新しい生命が誕生して、それがまた老いていきます。個々は別人格ですが、麦畑を見ていると人間もまた

    ひとつながり

のものなのだろうな、という思いすら抱きます。もの言わず、同じような姿をしている植物を見ると、「私とあなた」という対立関係ではなく、「わたしたち」というものがあるだけなのだと感じるのです。
ここ数年ほど、そんなことを感じるようになったためにプランターを触るようになったのもしれません。「年のせい」ではなく、

    「年が教えてくれる喜び」

なのでしょう。
あまり興味のなかった花にも最近心惹かれることが多くなってきました。「佐太村」の白太夫や「尼崎」のさつきと似たようなことをしている自分に気付くことがあります。

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私の家(といっても親の家に居候しているのですが)にある木や花は、親が大事にしてきたものです。最近ではツツジや紫蘭。以前なら見過ごしていた花が心の琴線に触れます。
先日、ディスカウントの酒屋に行くと「梅酒を造ろう」というコーナーができていて、ホワイトリカー、氷砂糖、そして大きな瓶が並んでいました。
梅の実の季節ですね。
うちには梅の古木もあるのですが、果たして今年は実がなるだろうかと思って気になっていました。先日ふと見るとかなりの実が木に生っていました。そのときふと、果たしてこの実で

    梅酒

を作っておいしいものができるのだろうか、と考えました。遥か昔、父親がこの木の実で作っていたような記憶もあるのです。
ただ、父親はビールとスコッチとブランデーが好みで、梅酒など飲みません。母親は、そもそもアルコールは一切ダメ。飲まないのでなぜ作るのか、はなはだ疑問でした(笑)。結局誰が飲んだのだろう・・・?
梅干しも作ってみたいのですが、今年はそんな余裕はなさそうです。
所詮素人のすることですから、

    失敗する

のは別にかまわないので、梅酒作りに挑んでみたいという思いが高まっています。「社用族」の恩恵で贅沢なものを口にしていた父親とは違って、私は高級なものには無縁ですので、造ったら多少まずかろうと必ず飲みますしね。仕事場に置いておくのはどうでしょうか。いや、やはりアルコールなので何かとうるさいのかもしれません。

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