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江戸前の浄るり 

義太夫浄瑠璃はやはり上方のものです。
ということは上方言葉で語らねばなりません。
私が、野澤松也さんのために書いた「創作浄瑠璃」はその意味では

    異端

というべきかもしれません。
しかし、素材が「本所七不思議」ですから、せりふを上方言葉にするわけにはいかなかったのです。
やはり地元本所の人たちの言葉ということで、登場人物たちには下町の江戸弁をしゃべって欲しいと思いました。
よって、「おめぇ(お前)」「ありゃしねぇ(ありはしない)」「帰(けぇ)んな(帰りなさい)」などの言葉を用いて、まったく上方生まれの浄瑠璃とは相容れないようなものにしてみました。
そのことで義太夫浄瑠璃としての魅力が損なわれる可能性はあるかもしれません。
義太夫でも武者訛りというのでしょうか、

    関東武士

などの言葉は上方のものではありません。ただ、町人の世界、つまり世話物ではたいてい大坂や京都が舞台ですから、上方言葉がよく映ります。江戸が舞台の「城木屋」(『恋娘昔八丈』)の人たちも上方言葉ですよね。
やはり町人の言葉は上方のものがよいのかもしれません。

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しかし、本所の人たちの言葉は私のイメージではどうしてもそうはいかなかったのです。
本所ならやはり江戸言葉のほうが人情もにじみ出るのではないかと思います。本所ということがさほど問題でないなら(つまr江戸の某所というていどなら)案外せりふも江戸っ子にこだわらずに書けるかもしれません(その場合はどこの方言でもない、共通語としての上方言葉、という感じになると思いますが)。しかし、このシリーズはなんといっても「本所七不思議」なのであって、あの、隅田川を越えた、いくらか田舎の町、次第に

    大名の下屋敷

などが移ってきてはいたものの、少し奥まったところにいくとおそらくかつては下総国であったほどのひなびた感じが残っていたのではないかと思うのです。そういうところだからこそ土地の言葉を使いたかったのです。
もっとも、私自身がその土地の人間ではありませんから、ひょっとしたら奇妙な江戸弁になっているかもしれないのですが。
ただ、地の文は曲の付け方しだいで

    上方風

になることは可能です。そのあたりを松也さんはどのようになさったのか、とても気になっています。
もしみなさんが何かの機会にお聴きになることがあれば、浄瑠璃として、義太夫節としてどんな印象をお持ちになるか、またお教えいただければと思うのです。

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