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呪詛(じゅそ) 

ちょっとこわいタイトルです。
実は、平安時代に関することで書きつつある原稿があって、それが呪詛にまつわるものなのです。
高階光子という人が数人の仲間とともに、時の中宮、生まれたばかりの皇子、そして左大臣藤原道長を呪詛したというので摘発されたのです。
時に

    寛弘6年(1009)2月5日

ざっと1000年前のことです。
僧侶に命じて厭物(まじもの)をつくらせて、それを内裏などにひそませておくのです。床下などに隠されたようです。目的は呪い殺すこと。
こんなことがおこなわれたのですね。

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ちなみに、高階光子は

  忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな

という歌で知られる「儀同三司母」の姉妹に当たります。儀同三司母とは「大臣待遇の人の母」という意味で、藤原伊周の母、高階貴子です。

源氏物語に物の怪が出てくることはよく知られていますが、

    物の怪

もまた当時の記録によく出てきます。病人の顔の表情や声が普段と違っていると思うと、それはとり憑いた人物そのものだというようなことが本当に記されています。
月食、日食、超新星など、

    天体の現象

も異変の可能性ありとして注目されました。

文楽でも主に王代物で

    月が白虹に貫かれた

のが話の発端になったり(芦屋道満大内鑑)

    桜丸夫婦の霊が藤原時平の前に現れ

たり(菅原伝授手習鑑)します。現代から見れば荒唐無稽ですが、往時はかなりリアリティがあったのでしょうね。
少なくとも、平安時代の人が文楽を見たら(無理ですが)、震えだすのではないでしょうか。

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コメント

呪詛と物の怪

卒論のテーマが物の怪だったので、かなり興味がありますね。
そもそも、日本人のケガレ観と関わりが深いのです。呪詛は。
呪詛を行うことにことによって穢れが発生する。だから禊(ミソギ)の儀式を怠らない。
いまの人々よりももっと切実にそういう問題に取り組んでいたわけですね、昔の方々は。
穢れが恐ろしいならやらなきゃいいのに・・
思いって、こっこわいよーっ

>るるるさん

物の怪がテーマだったんですか!
そのテーマを選ばれた理由は何だったのでしょう!?
こ~わ~い~で~す~ねぇ~。
こういう出来事は時としてでっち上げのこともあったようですね。
で、こういう事件を素材にした浄瑠璃を書きたくなってくる私は何なんだろうと思うわけです。

ヤフーの古地図

さっきから、yahooの地図のところに出ている

  古地図で東京めぐり
http://map.yahoo.co.jp/kochizu/
で遊んでしまいました。
遠山金四郎とか勝海舟の家などを見て喜んでいました(笑)。
地図って面白いですね。

私は「鬼」でした

という恐ろしいタイトルになってしまいましたが、大学の卒論(大昔)は「鬼」がテーマでした。

もともと中国では「霊魂」(鬼の字使われてますよネ)をあらわす字だったのが、日本では「モノ」と読み、目に見えないあやしい力を意味するようになったらしいです。闇が深かった昔は、人間の感覚ももっと鋭かったでしょうし、そういう感覚が切実だったと私も思います。

で、古地図。楽しいですね♪
ウチは、男谷精一郎のご近所です(*^.^*)北斎や、鬼平ゆかりでもあります。

>cocoさん

鬼の研究は面白いですね。いろんな方が仰せの通り、中国や古代日本では角も生えてないし、金棒も持っていませんね。
ご指摘の『闇』はまさにその通りだと思います。暗かったでしょうからねぇ・・。
古地図、面白いですよね。cocoさんは吉良さんのご近所でもあるんですね。

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【儀同三司】について

儀同三司准大臣(じゅんだいじん)とは律令制下における官職のひとつ。内大臣の下、大納言の上に位置する令外官。通称を儀同三司という。平安時代中期、藤原伊周は内大臣から大宰帥|大宰権帥に左遷されたのち朝議に復帰したが、時の大臣に闕官がなかったため、寛弘二年(100

  • [2007/02/09 02:28]
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