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木幡に行きたい 

本所に行くのはなかなか大変ですが、木幡ならなんとか交通費も出せそうな気がします。木幡、といってもあまり馴染みのある地名ではありませんが、詳しい地名でいうと、

    京都府宇治市木幡

です。
ここも以前訪ねてはいるのですが、やはりもう一度行きたいと思っています。木幡は京の都から見て南東部。もう少し南へ行くと宇治市街で、おなじみの平等院などがあります。あの平等院はもともと藤原道長の別荘の一部にあたり、道長の息子の頼通が寺院にしたものです。ですから、道長は宇治には川遊びなどに来ているのです。
京阪宇治駅を降りて川の反対側に行くと

    源氏物語ミュージアム

があります。閑静なたたずまいの博物館で、模型、人形による物語場面の復元、短い映画(源氏物語宇治十帖に関するもの)などを見ることができます。
宇治上神社、宇治神社などを経て浮舟と匂宮の像などを見ながら朝霧橋を渡って宇治川左岸(西側)へ。すると平等院は目の前です。ここに行ったあとぶらぶらと宇治茶関係の土産物などを見て宇治橋に出ると紫式部の像などもあります。
観光地としてまとまっているので、人気があります。
京阪宇治駅から中書島の方に戻ると、三室戸、黄檗、木幡、六地蔵と、名前を聞いているだけでうっとりするような駅があります。

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その六地蔵駅と木幡駅の間(JR奈良線にも同じ名の駅があります)に木幡小学校があり、実はここはかつて藤原道長が建立した

    浄妙寺

の跡地なのです。
木幡は道長一族の墓がある地なのです。といっても、当時の墓は今のように石の墓標を建てるものではありませんし、卒塔婆だけでは、いつしか朽ちて場所が不明瞭になってしまうというほどのものだったようです。
道長はそれゆえにこのあたりに寺を建てて、参拝する時に拠点となる詣り堂としたのです。
立派な三昧堂を建て、さらに多宝塔も建てて、先祖の供養をおこなっています。三昧堂落慶の時、彼はちょうど四十歳で、昔の考え方でいうと

    初老

に入ったことになります。ただただ前進するのみではなく先祖のことや自分の亡き後のことを考えて行動するのは、やはりこういった「年齢ゆえ」という側面があるのではないでしょうか。
彼には過去を振り返る気持ちと、これから子どもたちを何とか一人前にして、それによって一族の繁栄を願う心もあったはずです。
このあと彼は金峯山参詣を行うのですが、これも彼の宗教心のあらわれではあるのですが、同時にきわめて現世的な願いも持って出かけていると思うのです。浄妙寺建立によって先祖に向き合い、金峯山参詣によって子孫繁栄を願う、その意味でこのふたつの行動は彼にとってどちらも欠くことのできない,セットになったものではなかったのか、そんなことを思います。
もう一度木幡小学校界隈を訪ねてみたいと思っています。

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