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漢文 

平安時代の男性貴族の教養の第一は漢文でした。
これができないと恥でしたし、優れていると仕事にも有利でした。
ランクの低い役職を命ぜられた紫式部の父親は、漢詩の創作がすぐれていたために、その力を発揮して見事に上のランクの食をもらったという話が伝わるくらいです。

私は大学で

    日本古典文学

を勉強しましたが、当然漢文も出てきます。白居易(白楽天)や王維、杜甫、李白らの本場のものはもちろん、日本人の詠んだ漢詩もいろいろあります。菅原道真は名人です。
詩だけではありません。中国語で書かれた仏典、史書、医書、暦書その他、古代日本人が学問の手本としたもろもろの文献も読みこなさねばなりません。さらには、日本人が書いた破格の漢文(変体漢文とも)も読まなければならないのです。ある先生のゼミでは、注釈書などない漢字だらけの本を読まされて悪戦苦闘しました。
日本人の書く漢文は、ときどき敬語が入ったりします。たとえば

    左大臣参給大内

とあると、「左大臣、大内に参り給ふ」と読むのです。中国の文献ならこんな語法は出てきません。これ以外にも、日本漢文は独特の書き方がありますので、慣れるまでは大変です(慣れてからも大変です)。
こういう文献を読めるようになるにはどうすればいいのだろう、とほんとうに悩んだものでした。

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そんなときに、大学の掲示板に「藤原道長の日記の研究会があります」という案内が貼ってあるのを見つけました。
おもに日本史専攻の人のためのものだろうと思っていたのですが、隅っこで聞かせてもらうくらいなら参加しても叱られないだろうと、意を決して行ってみたのです。講師は東大史料編纂所の

    山中 裕 先生

でした。おそらく山中先生が少しずつ読んでは説明される形式だろうと思っていたのです。ところが実際はゼミ形式で、大学院生レベルの人が日替わりで担当して発表し、先生や他の参加者が意見を言っていくというものでした。びっくりしたのが、私と同世代の発表者たちのすばらしい読解力でした。なぜ同世代でこんなに読めるのだろう、と不思議で仕方がありませんでした。

その後、何とかくらいついていくうちに私もこの日記(『御堂関白記』)の

    注釈作業

に加えていただくようになったのですが、やはr周りの人に迷惑をおかけするばかりで申し訳ないくらいでした。
で、今に至っているのですが、やはり漢文が読めません。この夏休み、仏教関係や政治関係その他さまざまな史料の読み込みをしているのですが、さっぱりダメです。
まったく、何を勉強してきたのだろうかと思います。

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