生写朝顔話1(有朋堂文庫による)
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『生写朝顔話』(天保三年=1832=初演。山田案山子)は深雪と阿曽次郎のすれ違いの話として人気狂言になっていますが、私は全体像をよく知りません。そこで、有朋堂文庫で読んでみましたので、その概要をここに覚書として記しておきます。
全体の構成は
大内館 松原 宇治 真葛が原 岡崎
明石船別れ 弓之助家鋪 大磯揚屋
小瀬川 摩耶が嶽 摩耶が嶽(三段目の切)
浜松 宿屋(口) 宿屋
帰り咲吾妻の路草
駒沢上屋鋪
となっていますが、初演番付を見ると、
大内館 松原 宇治川 茶店 岡崎
明石船別 弓之助やしき 大磯揚屋
小瀬川 摩耶ヶ嶽
濱松 嶋田宿や
駒沢閑居 山岡屋鋪 多々羅濱
という構成になっています。
五段目がかなりあれこれあって、どんな内容なのか気になるのですが、よくわかりません。「駒沢上屋敷」がこれらをまとめてしまっているのでしょうか。どちらにも「薬売り」はありません。
<大内館>
鎮西探題大内義興は勤番で鎌倉にいます。その留守を預かるのは義興の母である後室園生の方。
朝廷から玉橋の局(実はにせもの)が周防に下向してきました。饗応の役目は邪悪な山岡玄蕃之允で、相役は儒学の師範駒沢了庵です。玉橋局は「中宮がご病気なので、当家に伝わる、天竺の蓍婆が所持していたという
薬王樹
を借りたい」と言います。後室が「家老とすぐに相談します」と答えると、駒沢は「当家の宝物だから鎌倉に急使を立てましょう」と言い、山岡は駒沢を馬鹿者呼ばわりした上で「緊急のことだからすぐに渡すべきだ」と反論します。後室は二人の中に入り、局には「すぐに用意しますのでしばらく奥でお待ちください」と答え、局は座を立ちます。後室は駒沢と山岡に向かって「薬王樹は用意するが、義興が
鎌倉で遊蕩
していて、諫言する者を手討ちにするという。それをなんとかしてほしい」と言います。
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駒沢は「諌言に人を遣わすと皆手討ちになさるので、今は誰も行きたがりません。私の息子の庄(祥)一郎は幼少から放埓のため勘当しています。
甥の宮城阿曽次郎
は器量豊かな者ですから、跡目を譲りたいのです。お許しいただけるなら、阿曽次郎を鎌倉に遣わしましょう」言い、山岡は「ご勤番の気晴らしだからお諌めすることはない。諌めるからかえって気が逆立ってお手討ちにされるのだ」と取り合いません。しかし後室は、「豊前の大友氏滅亡ののち、その残党が当家の隙をうかがっている。義興の放埓を捨てては置けない。阿曽次郎に家督を譲るのを認めるのですぐに呼び寄せて鎌倉に遣わしなさい。山岡はお局様の饗応を」ととりなし、三者は別れます。
その日のたそがれ時、庭の古井戸から赤星運八が姿を現し、山岡に合図をします。赤星は宝蔵から奪った霊符の尊像を山岡に渡し、このあと岩代多喜太と図って鎌倉に行って義興を骨抜きにしてしまう計略です。
赤星が去ると、玉橋の局が薬王樹を持ってあらわれ、後室らに見送られて京の都に帰ります。
<松原>
夜の周防の多々羅浜。一人の落ちぶれた男(実は勘当された駒沢了庵の子)が放浪しています。この男はなんとか父の勘当が解けるように、手柄をあげて帰参したいと願っています。そこに不審な者があらわれ、身を隠します。
山蛭(やまびる)洞八が声をかけると乗り物に乗った老女が首尾は上々だと応じます。山蛭が「摩耶が嶽に急ぎましょう」というと、老女は「舟で落ち合おう」といい、山蛭を先に行かせます。
老女は「大内家の宝、薬王樹を手に入れたからは、大友家を再興し、あわよくば天下をわがものに」とつぶやき、舟に向かいます。先の男は跡を追います。
このあと、「宇治川蛍狩」「真葛が原」「岡崎」「明石船別れ」ですが、これらは略します。
- [2015/08/11 00:00]
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