拙稿 

「拙い」と書いて「つたない」と読んでくれる学生はどれほどいるのでしょうか? 仮に読めても意味は分かっているのでしょうか?
「拙者」という、時代劇(学生の場合、そういう類の漫画かな)に出てくることばがありますから、あるいは「せつ」とは読めるかもしれません。「稚拙」「拙劣」という言葉も知っているかな。
自分の書いた原稿のことを「拙稿」といいますが、これはもちろん謙遜しているわけで、大先生のお書きになる立派な原稿でも自分のものは「拙稿」なのです。ところが私の書くものといったら、正真正銘の

     「拙い原稿」

なので困ったものです。
この夏休み、それなりに頑張って書いてきた原稿が火曜日(8日)にできましたので、その日のうちに提出しました。論文と呼ぶのは恥ずかしいのですが、そう呼ばないとほかに言いようがないので一応そういっておきます。
藤原道長に関するもので、彼の人生において宗教(もちろん仏教)がどのような意味を持っていたのかについて先学に導かれながらまとめたものです。
レベルとしては学生のレポートのようなもので、活字になって公開されてもたいていの人は読まないでしょう(笑)から、紙の無駄遣いのような気もします。でも、

    私自身の覚書

としては重要な意味があります。いわば、雑誌の誌面を汚しながら自分の勉強の蓄積にしているようなものです。

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以前、藤原道長の建立した浄妙寺についていろいろ考えたことがあります。宇治市の歴史資料館や木幡小学校に行ってロケーションや発掘資料についても調べてみました。行ってみないと分からないことというのがある、というのが私の考えにあります。私はフィールドではなく、文献で勉強してきた者ではあるのですが、現地踏査も大事にしてきました。
もう一か所、道長は金峯山にも詣でていますが、これについては以前このブログに

     「吉野紀行」こちら

として書いたこともあります。

これらの宗教活動はなぜおこなわれたのか、それについて思いを巡らせて書いたのが今回の小論です。
何ら新しいことが言えたわけではなく、ほんとうに自分の勉強のために書いたようなものでしたが、こうしてひとつのものをまとめることは、しんどくてやはり楽しいです。
道長については、まだまだ書きたいことがいろいろあります。人生長くありませんから、この際さらに

    次の勉強

もしようと決意しています。そう、決意はするのです。ところが実行がなかなか伴わないものですから、結局は拙い原稿に終わってしまうのです・・・。

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コメント

質問です・ずうずうしさの本領発揮。

まず。今更ながら、アホな質問を送信する無礼を、どうかお許し下さいませ。

あのぉ・・今更ながら、呆れられると承知の上で、ずうずうしく、質問いたします。

道長さまの魅力は、何処を見つめれば、分かるのでしょうか?

センセのご講義なら、彼の人間的な魅力が見つかるのかな?と思ったのですが。

・・・・、見つけられません。
関白記が、今で言うところの記録文学なので、そもそも味気ないのは承知しております。

が、彼の政治家としての手腕も、行き当たりばったりにしか見えず。
閨閥を操った父親としての心情も、掴み辛く。

センセは、彼の何に魅力を見つけられたのか?
今更ながら、教えて頂けましたら、幸いです。

あ、でも。源氏物語は、彼の功績だと、それだけは承知しております。はい。

政治家としての彼の能力って、どうだったのでしょう?

以上。長いこと、受講料未払いの、ずうずうしい教え子より。

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♪押し得子さん

いつもありがとうございます。このところ押し得子さんがしばしばコメントを下さるんでとても楽しみにしています。私以外にも押し得子さんファンができているかもしれません(笑)。
私は日本史の教科書的な意味で道長を見ることはないのです。あくまで文学の視点というか、平安時代に生きた権力者というものがどれほど弱いものであるか、ということに興味があります。
こうう業績を持っている、ということはとても大事なのでしょうが、それを生み出すに至った心の弱さはなんだったのか、という感じです。
道長は強いものに対しては強く、弱いものには意外に弱いと思います。
兄貴の息子の伊周と激論をしたという話が残っていますが、その時の伊周は、道長に抜かれたとはいえ、まだ権威を保っていたころです。ところが伊周がしょぼんとしてしまうようになると案外道長は優しいのです。
私と道長をいっしょにはできませんが、私は強い者(たとえば権力者)の言うことはろくに聞かず、弱い者のことになると我を忘れて聞いてしまうところがあります。そういう意味では少しは似ているかな、と思わないでもないのです。私は道長に優しくされても、やつのいうことなんて聞かないだろうな、と思います。
あちらは自分自身が権力者で、私は窓際。そこが根本的に違うのですが。いずれにしても弱いのです、道長は。病気になると天皇に「出家します、とめないで下さい」といい、腹心の行成などには「息子を頼むぞ」などと言っています。娘に子供ができないとなるとあちこちに祈願に行ったようです。
政治家と言っても、今の政治家とは種類が違うと思うのです。立法をするわけではありませんから、行き当たりばったり出ないと務まらないと思います。

道長様、ごめんなさい。

拝復 お忙しい学期初めに、ご丁寧にありがとうございます。
なぁるほど・・、いや、これは道長様に謝らなければ。せんせの包容力を分けて頂きたいです。

そうなのか・・@案外道長は優しい・・。そうなのですね。
(ここで、案外と仰っている点については、やっぱり?とは、申し上げません)

センセが受けとめられた、彼の優しさを窺い知れる、伊周との関係。これがですね、

@伊周がしょぼんと・・。
此処なんです、わたしには、見つけられない彼の善さ。

しょぼんとしなければ、最後まで、身内ですら容赦なく追いつめただろうな。
ちっちゃい男だわ、道長、と、感じていました。

彼自身、優秀な兄達の陰で、葛藤してただろうに。偉い父親の呪縛は辛いだろう、分かるよ。と、気にかけてあげる器量が無いのか?と。

そういう人なので、政治家には成り切れなかったのでしょうけれども。

まぁ、娘ではなく、定子様に夢中な天皇さんを引き止めるために。
サロン・ド・紫式部の、(しかも)女性を渡り歩く男の話で繋ぎとめようとするって・・。
娘を慮っているとは思えない、只の権力にあこぎな父親。
という色眼鏡が、物凄く加算されてますが。

あの時代は、そういうものだったと言われてもねぇ・・。

道長の人間性に共感できる人間になりたい。関白記を味気ないなんて言ったことも謝らなければ。

私の人間力が拙すぎましたわ、ごめん遊ばせ道長様。  草々

  • [2015/09/15 00:56]
  • URL |
  • 押し得子です。
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

押し得子さん

そうなんです、いわばちっちゃい男です。
今も時代の政治家と称する人にも、えらそうなことを言って一部から喝采を浴びているものの中味はスカスカという人がいますよ。私と大して変わらないじゃないかという未熟なのが。あの人とかその人とか。
道長については、教科書に載っているような「摂関政治を完成させ」とか「源氏物語製作のパトロンとして」とか、そういうのは私はあまり興味がありません。

花山院という人がいますが、この人は道長のお父さんらの陰謀で退位させられて出家してしまう人です。ところがそういう人には道長は優しくて、いろいろ世話をしたり、和歌のやり取りをしたりします。伊周の弟の隆家なんかはけっこう信頼しています。
でも、定子が産んだ敦康親王は絶対に皇太子にしたりしない。この親王はかなり優秀だったらしく、公任もその才を褒めています。でも道長はおかまいなしでっ自分の孫を皇太子にしてしまう。ダメなやつです。今なら単なるブラック企業の社長。
そのダメさ加減が私の胸にひっかかって今に至っています。

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