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奴(やっこ) 

文楽に登場する人物の中に「奴」がいます。『生写朝顔話』の関助、『新うすゆき物語』の妻平、『芦屋道満大内鑑』の与勘平、『摂州合邦辻』の入平など。実直、朴訥な人柄で忠実な家来という役柄が多く、なかなか魅力的です。
奴には独特の物言いがあって、返事をするときは「ねいねい」です。ほかにも、「坊主」を「づくにう」、「涙」を「なだ」、「〜のことだ」を「〜のこんだ」といったりします。ちょうちんのことを「火事のたまご」といったり、月のことを「星の親父」といったりする滑稽な表現もあります。「ほざく」「ほじやく」というのも奴がよく用いましたが、『心中天網島』では太兵衛が治兵衛に「盗みほざいたな」とほざいて(笑)いました。こういう

    奴詞(やっこことば)

を詠み込んだ俳諧もあって、それは「奴俳諧」と言っていました。
「やっこ」というのは「家」「つ」「子」のことで、「つ」は「〜の」の意味を表します(「まつげ(目つ毛)」の「つ」と同じ)。ですから、古くは「やっこ」ではなく「やつこ」と発音していたのです。

    『曽根崎心中』「生玉」

では徳兵衛が醤油樽を「恋の奴」に荷なわせていました。この「恋の奴」は、「恋の奴隷」「恋の虜」の意味に「使用人」の意味の「奴」(=長蔵)を掛けているのでしょう。

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「恋の奴」という言葉は謡曲の「恋重荷」に出てきますが、せいぜいそれくらいの、なんとなく新しい言葉だというイメージがありました(私にとっては、室町時代なんてつい最近なのです)。しかし、実はかなり古くからある言葉で、万葉集にも出てきます。

  ますらをのさとき心も今はなし
    恋のやつこに我は死ぬべし
      (万葉集2907)

立派ななりをした利発な男、いわゆる「大の男」も恋に落ちると情けないものです。「我は死ぬべし(ぼく、死んじゃうよ)」というほかはないのです。恋はほんとうに人を奴にしてしまうのですね。
私も過去には何度も奴になりましたが(笑)、今は悟り切っていますので(ほんとか?)そういうこととは無縁です。実際はもはや誰にも相手にされない、ということだと思いますが。
でも、同世代の人でこの期に及んで結婚する人もあって、そういうのを見ていると、あまり老け込んでしまってはいけないかな、と思ったりもします(笑)。

     「恋重荷」

に登場する山科の荘司は恋心を抱いた白河院の女御に重荷を持って庭を回るようにいわれますが、老齢の荘司にとっては持ち上げることすら叶わず、ついに息絶えてしまうのでした。荘司は女御の仕打ちを恨んで霊となって現れ、地獄に堕ちたことを伝えて女御を責めるのです。しかし彼は結局、もし自分を弔ってくれるならあなたをお守りしましょう、というのです。

     「今年六十のおじいさん」

といわれた村の渡しの船頭さんはそんなに昔の人ではありませんが、今は平均年齢も上がって、70歳以下の人を老齢とはいわなくなってきたように思います。
「星の親父」の下を「火事のたまご」を持って恋しい人に会いに行く、という元気な同輩もまだまだいるのだろうな、と羨ましくなります(笑)。

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