孫を求めて 

藤原道長の話をもう少し。
母を同じうする兄や姉を次々になくした道長でしたが、この人の奥さんは元気なのです。倫子という名を持つ彼女は源氏です。当時は結婚しても同姓になることはありませんので、彼女はずっと

     源倫子

で、墓も道長とは違う場所です。道長は木幡ですが、倫子は仁和寺の方、かなり西なのです。源氏の墓ですね。
この人が元気という証拠のひとつは長生きしたことです。89年、当時の年齢の数え方でいうと90歳まで生きたのです。今の平均年齢以上の寿命ですからたいしたものです。
もうひとつ、この人がすごいのは道長の子を6人も産んでいることです。長女の彰子は一条天皇の后で後一条、後朱雀という二人の天皇を産んでいます。長男の頼通、二男の教通は関白になっています。次女の妍子は三条天皇のお后で、女の子を産んでいます。三女の威子は、なんと、姉の彰子の産んだ後一条天皇のお后になっています。つまり、叔母と甥の関係で結婚しているのです。今の法律ではありえませんね。この、彰子、妍子、威子の三人が同時に太皇太后、皇太后、中宮(皇后)になったので、

    一家三后

といわれるのです。
で、三女の威子が中宮になった時に道長が詠んだのが日本史の教科書に出てくる

  このよをば我がよとぞ思ふ
    望月の欠けたることのなしと思へば

なのです。

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さて倫子なのですが、この人にはもうひとつ元気の証拠があります。なんと、44歳で最後の子どもを産んでいるのです。四女の嬉子です。この人もまた皇太子夫人になるのですが、かわいそうに若くして亡くなってしまいます。
それはともかく、44歳の出産というのは今でも高齢だと思うのですが、当時は大変だったでしょう。たしかにお産は重かったようですが、それでも母子ともに無事で、倫子は

    孫のような子

を我が懐に抱いたのです。
道長はこのとき42歳で、長女は20歳、まだ孫はいないのです。道長にしてみれば、妻よりも長女が子(天皇の子)を産んでほしかっただろうと思うのです。長女は入内して(天皇と結婚して)すでに8年になりますが、まだ懐妊の様子はないのです。
道長は、孫が欲しいというよりは、自分の娘が天皇の男子を産んで、その子が将来

    天皇になる

ことを庶幾していたのです。
源氏物語の光源氏も妻の葵の上との間には8年間子どもができませんでしたが、やはりこれだけ長くできないと「もうだめなのではないか」という気持ちにもなったかもしれません。それだけに妻の出産は道長にも長女にも勇気を与えたかもしれません。
だからこそ道長は一生懸命神仏に祈ります。妻が高齢出産したあと、道長はまず大和の春日社(藤原氏の氏社)に行って、さらにそのあと金峯山に行きます。
熱心というか必死というか道長はこうしようと思ったことは徹底する人だったようです。

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