孫を求めて(続) 

藤原道長はとても天候を気にする人です。天気がいいと、自分は祝福されているのだ、と思ったのではないかと感じることがあります。
妻が44歳で出産した(道長42歳の1月5日)直後、藤原氏の氏神である奈良の

    春日社

に参詣することを決め、賀茂光栄(かものみつよし)に吉日を占わせています。ちなみに、お隣の興福寺(山階寺)は藤原氏の氏寺です。
結局、2月の末に公卿11人と殿上人10人あまり、四位以下の者数十人を引き連れて2泊3日の小旅行をしています。舞人、楽人もいます。
宇治から奈良に行き、佐保殿と呼ばれた藤原氏の別邸に着き、そこで一泊。翌日は天気が悪くて午の刻には激しい雷雨があったようです。同行した藤原行成は三笠山の上に黒雲があったといっています。
道長は社頭に行くと雨は止んだと言っており、これも神威というかこの参詣が祝福されたものであることを感じているのではないかと思うのです。
この参詣の目的について藤原行成は日頃の神の恩に対する報賽だということを言っていますが、それだけではなく、娘が

    天皇の子

を産むことを祈願する意味があったのではないかと思います。
男女差別で申し訳ないのですが、当然この場合は男の子を望むのです。今と同じで、当時は天皇になれるのは男子に限られました。

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そして立て続けに道長は金峯山参詣を企てます。ただ、彼はあまり健康な人ではなかったので、この年も何度も病気で欠勤したりしています。目、腰の腫れ物、咳、頭などに苦しんだことが日記に書かれています。
普通、そういう体調なら険しい金峯山に行こうとはしないでしょうが、それでも出かけようとするのがこの人なのです。
金峯山に参詣するためには数十日〜100日の

    御嶽精進

をします。酒肉を断ち、家族とはなれて読経、写経、その他いわゆる精進潔斎をおこなうのです。源高雅という、道長に親しく尽くした家司(家来のようなもの)の家で精進がおこなわれたのです。折しも流れ星が続き、異変かもしれないというので大赦がおこなわれたりしました。
そして約70日後道長は金峯山に向かって旅立ちました。
あいにくの天気が続いたのですが、それでも彼は歩みを止めません。そして八月十一日、水を浴びてからだを浄めたあと、「小守三所」(一般的には「子守」と書きます)に行ったと日記に書いています。

    子守三所権現

です。もともと「水分(みくまり)」といった(今も水分神社が吉野にあります)のを「みこもり」と読みなして子どもの安全や出産を祈願したようです。
ここに詣でているのは、やはり娘に子ができるように祈願したのでしょう。道長は必死なのです。

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