香車 

将棋は全然だめなのです。うちの長男(理系人間です)が中学生の頃にはいくら指してもかなわなくなりました。
今でも何となく進め方くらいは分かるのですが、どうすれば勝つか、なんてよく分かりません。もちろんチェスも囲碁もバックギャモンもダメ、麻雀もわかりません。
尼崎市にある

    近松公園 (近松の墓所のそば)

に行くとどこから集まってこられるのか、将棋を指しているおじさんたちがたくさんいらっしゃいました。今もお元気でなさっているでしょうか。
将棋の駒は、進み方が不思議で、桂馬なんてなんであんな変な動きをするのかわかりません。だからどこへ行くのか読めないのです。先が見通せる頭のいい人でないと上達しないのでしょうか。

    羽生名人

は困った時には「最初の一手から現在の手までを振り返る。すると先が見えるのだ」とおっしゃっていたように記憶します。歴史と同じですね。過去を見ることで未来が見通せるわけです。
「香車」という駒があります。やはり理系で割合に将棋もしていた兄が「やり」と言っていましたので「香」は「や」、「車」は「り」と読むのだろうかと小学校低学年だった私は悩んだことがあります。

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この駒は真っ直ぐ前にしか進めません。横を向いたり後ろに引いたりしない、融通の利かない(笑)駒です。
慶応四年、鳥羽伏見の戦いに敗れて大坂城から江戸に逃げ帰った徳川慶喜を取り巻く人たちには、新政府に対する徹底抗戦派と恭順派がありました。その前者の集団であった彰義隊のリーダーになって、最後は獄死した人に

    天野八郎

という人がいます。
この人は「槍印」などの物の印に「香車」を使ったそうです。それは「一歩も横へ行き、跡へ引くの道なきを表するの証なり」(『斃休録』)という理由だそうです。たった一日で終わった上野戦争で将棋隊、いや彰義隊は負けましたが、彼は「東台(上野山のこと)に一敗すと雖も、職業を尽して他に譲らず。府下に潜伏して今日に至る。決して『香車』に恥ぢず」(同)とも言っています。
この彰義隊という名称は、一説には将軍の

    床几を守る

(つまり将軍の近くを守る)親衛隊の意味から「彰義隊」になったのだとも言われます。そして天野八郎はまた「『将棋』隊」の「香車」でもあったようです。
私は自分の性格をまったく「香車」の猪突猛進とは違ったものだと思ってきたのですが、最近時々、気が短くて周りの見えないタイプなのかもしれないなと思うことがあります。獄死するにしても、せめて天野八郎くらいの矜持は持っていたい、と思います。
「香車」の槍印、使おうかな(笑)。

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