見上げる、包まれる 

ヨーロッパの建築物を(写真で)見ると、その壮大さというか、ただただ見上げるような圧倒的な大きさに感銘を受けます。世界文化遺産になっているようなヨーロッパの教会など、もちろんささやかなものもありますが、人間が芥子粒ほどにしか見えないものがあります。学生に世界の世界文化遺産を紹介すると、たとえばフランスのモン・サンミッシェルとか、スペインのサグラダファミリアとかあるいはイギリスやドイツの建築物に人気があります。
ステンドグラスや尖塔の美しさもありますが、やはりあの壮大さは日本の寺院とは違ったものを感じさせるようです。

    「ほら男爵の冒険」

で、男爵が馬を杭につないで積雪の上で眠ったら、翌日には馬がおらず、ふと見上げると尖塔のてっぺんに馬が繋がっていた、というとんでもないほら話がありました。要するに雪が溶けて、自分は地面に寝ていて、馬は杭のような物と思っていた尖塔に繋がったままになっていたという話です。
日本にも五重塔がありますから、同じような話はできそうですが。落語の

    「鷺取り」

では鷺と一緒に飛んでいった男が四天王寺の五重塔の上にたどり着きます。大阪の七不思議のひとつに、町の北西にある玉江橋から南東にある四天王寺の五重塔が真南に見える、というのがあります。橋が斜めに架かっているに過ぎないのですが、堂島川から四天王寺が見えるということだけでもすごい話です。

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吉野の蔵王堂にしても西本願寺にしても壮大な建築はあるのですが、神社となるとわりあいに背丈はありません。森があって、その中にちんまりと本殿があったりする。森が建物を包み、さらにそこを訪れる人を包むような感覚。ですから、神社を探そうと思ったら、森を探せばいい場合が多いのです。
日本の建築で

    わび

といえば茶室でしょうが、あの茶室というのは私のようなからだの大きい者にとっては狭苦しいのなんの(笑)。にじり口なんて横幅のある方などはかなり苦痛じゃないでしょうか。
しかし、言い換えるとほとんど人間のからだサイズで部屋ができているように思うのです。部屋というよりは衣装のような。そしてパッと明るくはない柔らかな光。人が照らされているのではなく、光に包まれている。
建物だけが独立しているのではなく、人間がそこに入ってはじめて

    意味が生ずる

のがこういう建築だといえそうです。
庭を眺めるための部屋というのもいいですね。障子を開けると一面に庭が広がっていたり、縁側があってそこに腰を下ろしたり。
京都岩倉の円通寺で、借景になっている比叡山を眺めたときなど、自分が建物や庭と一体化しているような心地よい錯覚に陥りました。
もちろんヨーロッパの建築もそうでしょうが、やはり建築物はそこに行って見ないとつまらないな、と思うのです。

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コメント

St Michael's Mount

モン・サンミッシェル(Le Mont Saint Michael)に昨日行きました。英国留学中にコーンウォール州の西端にあるSt. Michael's Mountに行きました。こちらのほうが静謐な感じ(=観光地化が進んでいない)ですが、名前はもちろん形もそっくりです。

♪野崎小町さん

フランスv-498旅行中ですか。
うらやましいです。
でも、そろそろ帰って来てくださいね(笑)。

仕事中

研修旅行の引率中です。

♪野崎小町さん

それなら決まった日にお帰りですね。

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