発想は文学 

押し得子さんから思いがけず教わった形になりました。はっきりわかったのは、藤原道長の勉強をしていても、具体的には彼の日記(『御堂関白記』)を読んでいても、私の発想が常に

    文学

であることです。
『御堂関白記』は文学作品ではありません。しかしどうやら私は、政治史の史料としては読んでいないのです。もちろん、実際は政治がらみのことも勉強しながらでないとこの晦渋きわまりない日記など読めません。道長の発言は、この日記ではほぼ左大臣としての発言で、周りの人物との関係もしっかり考えておかねば読み誤ります。
でも、興味があるのは道長の弱さ、あるいは

    「ダメさ」

とでも言うほうが正しくニュアンスを伝えるかもしれません。
そもそも病気がちで、同母兄弟では末っ子の三男坊。どうせボクなんて、という気持ちがなかったとは言えません。しかし塞翁が馬。兄の病死が彼に最高権力者の地位をもたらします。自分も若死にするのではないかという恐怖を抱きながら、必死で権力の伸張を考える。その根底にはどうも先祖思いの宗教心もあったような気がするのです。先祖が築いてくれたものを自分が絶やすわけにはいかない、というような。

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現代の発想で「政治家」、つまり法を作ってそれを施行する役割を担う人たち、とはかなり違うのが当時の「政治家」です。だって、きまりを作っても、自分自身がそれを守らないなどということもあるのですから。
いわば、予防接種はせずに、対症療法に一生懸命になる医者のようなもので、頼りになるのは前例。

    有職故実

ということが、だから重要なのです。
彼らが日記を書くのも、日々の記録を書いて年取ってからそれを眺めてにやにやするため、というわけではありません。あくまで読まれることを前提として、子孫の参考になるように記録しています。というか、子孫は先祖の日記をとても大事にして、それを真似ることで立派な先祖とともに生きることができたのだと思います。道長の日記も子孫が

    書写

しています。自筆本が残っていないところもその写本で補えるのでありがたいのです。
私が道長の日記を読んでいて面白いと思うところは、多くは彼がちょっと感傷的になっている時に書いたものです。
息子が始めて「春日祭の使」に行った時に心配で、藤原公任や花山院と和歌をかわしたり、寺を作って落慶法要をする日の朝、まだ暗いうちに家を出ると月が輝いていて、それが昼のように明るかったなどと書いてみたり。
日本史研究者は「そんなことどうでもいい」とおっしゃるかもしれないことを気にしながら読んでいるのです。

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