墓参り 

墓参りする習慣というのが子供の頃はありませんでした。
なぜなら、墓が遠かったからです。奈良の片田舎(奈良市内ではありません)にあって、とても簡単に行けるところではないのです。たしか、お寺の墓地にひっそりと建っていたと思うのですが、よく覚えていません。
最後に行ったのは兄が車に乗せていってくれた時で、当時大学生だった私は道も知らず、奈良の地理も分からず、今でも私はその墓のあったところに行けと言われても行けません。祖母の年忌の時で、ほとんど誰が誰だか分からない親戚から次々に差し出されるお酒を兄に代って飲みましたので、よけいに覚えていません(兄は下戸で、運転手でもありました)。
ですから、

    お彼岸

と言ってもなんら宗教行事をするわけではない家に育ったのです。
ところが、父親がそれでは自分が困ると思ったらしく(笑)、今の家からさほど遠くないところに墓所を定めたのです。おかげでしょっちゅう行くことになってしまい、私はけっこうまめに特に夏から秋は墓参りをするようになりました。8月お盆、9月彼岸、10月命日。父親の陰謀にまんまとはめられたわけです。
といっても、歩いていけるところではありません。

    家から5kmくらい

離れていて、平地なら歩くのですが、山の上なので車でなければどうにもならないのです。バスもありますが、本数は少ないですし、駐車場が完備されていますのでマイカー(この言葉って、死語?)で行くほかはないのです。

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ただ、墓参りするのはいやなわけでも面倒なわけでもないのです。自分自身がそのうちに土に反るという気持ちもありますし、そういうことだけではなくて、この墓地はそこそこ居心地がよいのです(笑)。
なんといっても、とても眺めがよく、大阪平野を一望することができます。双眼鏡をもっていくと

    大阪ドーム

まではっきり分かるくらいです。
また、最近の墓地ですので、さまざまなお墓があって、不謹慎な言い方ではありますが、お墓を見ているだけでもけっこうおもしろいのです。
不幸な話ですからこういうことを書いていいのかどうか分からないのですが、たとえば墓にバイクの写真が埋め込まれていたりします。享年がとても若いので、バイク好きの青年が交通事故でなくなったのかもしれません。また、墓石に音符が刻まれていて、スイッチのようなものがあって、それを押すとちょっとした

    クラシック

が流れてくる仕掛けになっているものもあります。
お寺ではありませんから、宗教がさまざま。「南無妙法蓮華経」も「南無阿弥陀仏」もあるいは十字架もあります。「夢」とか「愛」という文字を刻んだ墓石もあります。
お彼岸やお盆に行くと、多くの人がいます。見知らぬ人たちばかりではありますが、不思議な同胞意識のようなものが芽生えてきます。
父の命日などに行くと閑散としている、というか誰もいなかったりします。そういう時はやはり、あまり多く話ができなかった父親に今の境遇を懺悔したりしています。期待に背いてごめんなさい、という思いが拭えません。

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コメント

墓参り好き

親族のお墓にお参りするのは「任務」だと思っています。ウチの場合は同じ墓地に本家と分家の墓があって、本家の人に墓の管理状態をチェックされる宿命が(笑)おかげで草むしりにも慣れて、蛙やトカゲが飛び出てきても狼狽する事はなくなりました。

あと、親族ではありませんが、いにしえの文楽関係の方々のお墓を訪ねるのも楽しいですよね。大阪にはあちこちに名人さん達のお墓があって羨ましいです。

♪やなぎさん

それぞれのご家庭で事情もそれぞれ。ご苦労様でございます。m(_ _)m
私も大阪人ではないため、谷町筋など知らない土地だったのですが、文楽ゆかりの人たちの墓所を廻ることでかなり詳しくなりました。

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