査読 

初めて論文雑誌に載せてもらったのは大学院生の時です。下手でも何でも、書いておくことが大事で、そこからスタートすればいいのです。
実際、ほとんど価値のない駄作でしたが、やはり活字になるのは嬉しかったものです。
その雑誌に載せてもらうためには関門がありました。何人かの人に読んでもらって、掲載に値するかどうかを編集会議で話し、それでOKが出たら載せてもらえるのです。

    査読

といわれるものです。
これがけっこう怖くて、何を言われるか分かりませんし、場合によっては書き直しを命ぜられたり、掲載不可という結論になったりします。実際そういう憂き目を見た人を知っています。
私の場合は初めてということで、お情けもあったのでしょう、なんとか載せてもらいました。
専門分野の人間が読むわけですから、意見はかなり厳しいものが出ます。それは

    雑誌のレベル

を守るためにも必要なことですし、なんと言っても執筆者本人のためになります。
「これで掲載するけど、今後はこういう点をもっと考えた方がいい」というような結論になることもあったと思います。私はそれだったのかもしれません。

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研究業績書を書く場合、論文が「査読あり」か「査読なし」かを付記せよと言われることがあります。当然、「査読あり」のほうが、価値があるわけです。
学会誌はたいてい査読制を敷いています。そりゃもう、専門家がいっぱいいますから。しかし

    大学の紀要

などでは困難な場合があります。
この夏に書いたものはまさにそういう雑誌に載せるのですが、この雑誌にも査読制が敷かれています。誰が査読したかは分からないことになっているのですが、私の場合は「どう考えてもあの先生だ」とわかります。以前書いた時は中世文学専攻の先生が読んでくれたことが明らかなのです。だって、その先生以外に読める人なんていませんでしたから。
ところがその先生はもう仕事場を離れられました。となると、今年は一体誰が読んでくれるのだろう、という大きな疑問があります。査読は一人〜数人が担当することになっているのですが、この学校にはもはや古典文学を担当する人はいません。日本史の人もいません。
それでも、雑誌の

    メンツ

がありますから、誰かに無理やり読んでもらわないと格好がつかないと思います。そして査読結果というのが執筆者に伝えられて、このまま掲載するか、書き直しを条件に掲載するか、あるいは掲載不可になるかが決まります。
私のものは不出来ですから、掲載不可になっても仕方がないのですが、それをだれが判断してくれるのか、なんだかよく分かりません。その結果はもうすぐ届きます。

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