価値の下がる言葉 

普通名詞はめったに変化しません。「山(やま)」は万葉集の時代から(もちろんもっと古くからですが)「山」です。三角形や饅頭型などさまざまではあっても、おおむね高く盛り上がっててっぺんの尖ったところです。川も、谷も昔から今までずっと同じものを指してきました。
ただ、そこに込められた意味は微妙に変わっています。山はまず里と区別されます。里には人が住みますが、山に人は住まない。そして神聖で

    神の領域

に入るとも考えられました。天孫降臨などといって、神が降りてくる場所でもありました。金峯山には弥勒菩薩が出現すると言われてきました。いわゆる山岳信仰というのも日本ではずいぶん盛んです。
しかし今ではそこまで神聖なものと見られているかどうか。富士山は信仰の山でしたが、今はゴミ問題が起こるくらいで、山を汚す行為が後を絶たないのです。
しかしそれでも普通名詞はあまり意味が変わらない。動詞も大きな変化は少ない。「行く」「帰る」「立つ」など同じと言ってよいと思います。しかし「思う」という言葉など、微妙に違うようです。心に秘めて表に出さないのが「思う」ですが、次第に表にも出てくるようになります。「ものや思ふと人の問ふまで」など、心の中が表にあらわれています。「思ひ」という形になると「ひ」に

    「火」を掛けて

「燃えるような思い」を表すこともあります。「人知れぬ思ひを常にするがなる富士の山こそ我が身なりけれ」(古今和歌集 恋一)は「駿河」に「思いをする」を掛けて「富士」につなげ、富士山の火と「思ひ」を掛けるものです(ちなみに、古今和歌集成立の時代は富士山の噴煙は上がっていなかったようです)。
それでもやはり「思う」の意味はあまり大きな変化をしていないようです。

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変わりやすいのは形容詞。といっても「遠い」「高い」のような状態を表すものはあまり変わりません。人の心に関わるものが変わりやすいようです。
「うつくし」「をかし」をそのまま「美しい」「けっさくだ」と現代語風に解釈すると正しいとはいえません。「うつくし」は「かわいい」、「をかし」は「心惹かれる」くらいの意味になることが多いようです(すべてではありませんが)。「かなし」も「悲しい」の意味だけでなく「どうしようもないくらいかわいい」という意味もあります。今なら「やばい」でしょうか(笑)。そもそも「かなし」は「どうにもならないくらいせつない」ということなので、「せつないほどかわいい」「せつなく悲しい」などの意味があります。しかし今では「悲しい」の意味に限定されます。「やさし」も本来は「身が細るほどつらい」ということで、そこから「はずかしい」「気を遣ってつつましい」「ひかえめだ」「優美だ」など繊細な感情を表す言葉として変化していきました。いまでは「親切だ」という意味でも使います。

最近、

    大げさな言葉

をさほど大問題ともいえない場面で使うために、その言葉の意味が軽くなってしまうことを感じることがあります。たとえば「号泣」「謝罪」という言葉がネットのニュースなどを見ていると頻出するのです。週刊誌の見出しのように、といえばいいでしょうか。
以前なら「しくしく泣く」というものでも「号泣」と表現し、片手を上げて「ごめんね」といっているような感じでも「謝罪」になったりします。
強い言葉を使って印象づけようとするのでしょうが、多用されることで価値が下がってしまうようです。
昨今、「ウヨクだ」「サヨクだ」「バカだ」「アホだ」「売国奴だ」など強い言葉で他人にレッテルを貼る風潮があります。必死でそういう言い方をしている人を見ると、情けなくもあり、またこういう言葉遣いもすぐに色褪せてしまうように思います。
言葉を生み出すのも、使うのも、変化させるのも人のしわざです。しかし言葉には

    言霊

が宿ると先人は考えました。
価値を下げるとその言霊も薄れるような気がしてなりません。私はやはり美しい言葉を使い続けたいと思っています。

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