おばな 

学生を大和撫子だと思うのは、友だち同士でやたら汚いことば(本人はそれほどには思っていないのでしょうが)でしゃべっていても、やはり「きれいな日本語を使いこなしたい」と本気で言ってくれる時などです。「おとなたち」が面倒くさがって分かってくれない私のような者の身の上をとても理解してくれて部屋に遊びにきては目一杯笑って帰って行く時などです。基本的に彼女たちはやさしく、かわいく、可憐なのです。大和撫子は健在です。私は確信しています。
秋の七草には地味なものもあります。尾花。すすきですね。中秋の名月に飾るすすきは、それでもやはりすばらしい風情を湛えていると思います。「花すすき」つまり穂の出たすすきです。
「ほ」というのは

    「突き出たところ」

という意味があります。「稲穂」というのは稲の突き出たところです。「秀」の字を当てることもあり、「すぐれたところ」という意味もあります。ヤマトタケルが詠んだ「大和は国のまほろば」の「まほろば」は「まほらま」の転じた語で、「ま(接頭語)」+「ほ(秀でた)」+「ら(「ここら」の「ら」と同じで漠然と場所を示す)」+「ま(接尾語)」で「優れた場所」の意味です。大和撫子を詠んだ歌の中に「垣ほに咲ける大和撫子」というのがありましたが、あの「垣ほ」の「ほ」も同じです。「君が代」に出てくる「岩ほ」もそうです。ちなみに、「君が代」の歌は『古今和歌集』に初句「わが君は」として出てくるものですが、もともと親しい人の賀の祝いなどに詠まれたもので、天皇の御代が永遠に続きますように、というような意味ではありません。

    素朴な祝いの歌

なのに、奇妙な解釈をされて「卒業式で歌え」「歌うな」の議論になってしまうかわいそうな歌です。たしか、どこかの町で「教員が歌うかどうか口元を見て確かめる」と言った校長もいたように記憶します。

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尾花は「花すすき」として『古今和歌集』にも出てきます。

  今よりは植ゑてだに見じ花すすき
   ほに出づる秋はわびしかりけり


今からは野生のものはもちろん、植えて見ることもするまい、花すすきは。穂に出る秋はわびしいものなのだ。秋の歌なのですが、実はこの歌には「恋心が表(ほ)に出てわびしい」という意味が含まれているようです。秋になると花すすきが表に出てくるように私の恋心も表に出てしまう、それがわびしいから植えることもするまい、というのです。この歌を詠んだのは

    平貞文(定文)

という人で、色好みで知られた男です。

  秋の野の草の袂か花すすき
   ほに出でて招く袖と見ゆらむ


すすきの穂が揺れるのを「招く袖」と見ています。やはり「ほに出る」ということばが一緒に用いられています。地味ではあっても、すすきのゆらゆら揺れる姿は秋の風情によく映ると思います。

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