鹿の声 

高速道路で山の中を走ると「動物に注意」という意味の標識が出ていることがあります。そこに描かれる動物は狸や鹿です。やはりこれらの動物が出やすいのでしょう。
といっても、私は高速道路で出くわしたことはありませんし、そもそも狸なんて見たこともありません。一方、鹿については

    奈良や宮島(広島県)

に行くことが珍しくありませんので何度も見ています。ただ、それらの鹿は野生のものではあっても、あまりに人に馴染んでいるので飼われているような感じさえしてしまいます。私が能勢町のために書いた浄瑠璃には鹿は出てこないのですが、演出に際して新たに入れられ、今ではウリボーとともに出演するのがあたりまえになっています。能勢町では今でも、鹿もイノシシも普通に見られるようです。能勢のお酒は「秋鹿」です。
イノシシは芦屋市や西宮市でも山へ行くと見られるようですが、ひょっとしたら私はイノシシも見たことがないかもしれません(あるかもしれませんが、忘れました)。
鹿の鳴き声は奈良や宮島で聴きました。学生に鹿の声の話をすると、ときどき

    「鹿って鳴くんですか?」

という反応があります。そんなものかもしれませんね。おとなしい印象がありますし、牛なら「モー」、馬なら「ヒヒン」、猫なら「ニャー」という言い方をしますが、鹿の場合そういうものが一般的には存在しないのではないでしょうか。そうすると、鹿は鳴かないと勘違いすることも起こりうると思うのです。「鹿鳴館」っていうじゃないですか」と話しても「鹿鳴館って何ですか?」といわれることもありまして・・・。

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古典和歌には鹿の鳴き声がしばしば詠まれます。季節として多いのは秋です。花札では鹿といえば十月(そっぽを向いている「鹿十=シカト」ですね)で、冬の初めではありますが、ともに描かれる紅葉というと晩秋の印象も強いものだと思います。もちろん鹿は年中いるのですが、あの鳴き声は秋にふさわしいのでしょう。

  奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
    声きくときぞ秋は悲しき


『百人一首』では猿丸太夫の歌とされますが、古今集では読み人知らずです。11世紀の初めにはすでに猿丸太夫とされていたようです。『百人一首』にも入る『古今集』の歌といえば

  わが庵は都の辰巳しかぞ住む
    世を宇治山と人はいふなり


もあります。この歌の「しかぞすむ」は「こんなふうに住んでいる」の意味と思われますが、「鹿」が連想されることもあって、この歌を絵にしたものなどはたいてい鹿を描くことになっています。いわゆる「お約束」ですね。世を倦(う)む人が住むから宇(う)治山と人はいうようです、と、わびしさを詠みます。

  山里は秋こそことにわびしけれ
    鹿の鳴く音(ね)に目を覚ましつつ


壬生忠岑の歌です。やはり鹿の声は秋のわびしい気持ちと重ね合わされるようです。『古今集』ではありませんが、和泉式部の歌に「ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ今宵ばかりの命と思へば」があります。夫が明日は狩に行くと言うので、鹿が鳴くのは今夜限りの命と思っているからだ、と言っています。わびしいです。

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