ノーベル賞 

毎年10月になるとかまびすしいのですが、私はノーベル賞にはほとんど関心がないのです。なんといっても、医学生理学、物理学、化学、経済学などの諸分野は縁遠くて、学者さんのお名前すら知りません。文学賞がありますが、これは小説家や詩人などに贈られるもので、もっぱら遠い昔の文学に興味を持っている私としては現代の人はやはりあまり知らないのです。外国文学には特に疎いので、毎年受賞者が発表されてもその作品を読んだことがない人ばかり。平和賞に至っては今ひとつよく分からない賞、という感じが否めません。
文学賞は私にいわせれば範囲が狭すぎるのです。これは

    芸術賞

とでも改めて、美術、建築、工芸、音楽、演劇なども含めたほうがよいのではないかと思えてなりません。桐竹勘十郎さんがノーベル芸術賞を受賞しました、なんてことになってもいいんじゃないか。もっとも、ジャンルが増えると選考がかなり厄介なことになりますが。
大学の学部でいうなら、理学部と医学部と経済学部の学者さんが受賞対象になりそうで、理系の人にとっては

    最高の賞

ということになるのだろうと思います。文学(創作ではなくて)、歴史学、哲学、法学などの分野は対象外なので、どうしても私は関心が薄いのです。
平和賞で思い出すのはアメリカのキッシンジャーさんです。この方はベトナム戦争の和平交渉に当たって成果を上げたことが受賞理由になりました。キッシンジャーさんの受賞が決まった直後の日本の風刺漫画に、自分で火をつけたものを消火器で消していたら通りがかりの人が「あなたは立派だ、表彰されるべきだ」という意味のことを言った、というものがあったような記憶があります。
マッチポンプというわけですね。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

なんでも、日本国憲法第9条を持つ日本国民というのも平和賞の候補の中に入れられているそうですが、これもあまりにも漠然としていて、私にはよく分かりません。いえ、憲法9条が漠然としているのでも、わかりにくいのでもありません。9条が大事に守られていることはいいことだと思うのですが、だからといってノーベル賞の候補にしてもらわなくてもいいという思いがあります。おそらく世界に9条のよさを発信して、

    世界平和

に向けて一歩でも進もうということなのでしょうが、そういうことが分からない人が起こすのが戦争というものなのではないかと考えると無力感も持ちます。
国内事情、つまり憲法改定を意図する人に向けての反対運動のような意味合いでこういう運動が起こっているようにも思えます。
逆に、受賞しないからといって9条の持つ意義が薄れるものではないことも認めたいと思っています。
自衛隊が9条に違反しているという意見は古くからありますし、自衛隊は今や国民に理解された存在なのだから、その存在に反する9条をこそ変えるべきだという主張もあります。自衛隊は

    戦争をしないための軍隊

であるというパラドックスのような存在なので、難しいのかもしれません。いっそ「戦争をしない軍隊」ということで自衛隊にノーベル平和賞を、というのは・・・。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3667-159e9da9