市民大学「道行の美学」(1)
- 日々牛歩
- | トラックバック(0)
- | コメント(4)
昨日から「吹田市民大学」が始まり、5回にわたって担当者がそれぞれの専門分野の話をすることになっています。
私は前座で、いつもトップバッターです。よって、昨日は私がお話ししたのです。5人のうち1人は知らない人なのですが、それ以外の方は全て私より年長なので、私は講師陣の中では若手の部類(笑)。ですから前座を勤めるのもやむを得ません。
以前ここに書きましたが、本来の専門分野である平安時代のお話をしたいと思っていたのです。ところが「文楽のことを」という要望があり、しかも
「名文句」
をテーマに、とも求められました。中には「ほんとうの恋なんて、唄の中だけよ」なんていうタイトルをつけた先生もいます。『シェルブールの雨傘』ですね。こんなタイトル、ずるいよ。絶対一番人気。そもそもこの先生はイケメンでダンディ。毎年トリをとる人なのです。おいしいところを全部持っていかれちゃう!(笑)
文楽の名文句はたくさんありますが、私が思いついたのは道行でした。私があこがれる浄瑠璃作者の条件のひとつに「道行文が書けること」が挙げられると思うのです。「恋と忠義はいづれが重い、かけて思ひは、はかりなや」「浮世とは誰がいひそめて飛鳥川ふちも知行も瀬とかはり」「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜ひと足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」・・・こういう文を書ける人が浄瑠璃作者なんだろうな、と思います。
そこでタイトルをあらかじめ
道行の美学
と決めてから何をするかを考え始めたのです。
(続きはこの下の「続きを読む」をクリックしてください)
↑応援よろしく!(クリックしてください)
道行ということばは「道を行くこと、道の行き方」ということなら古くからあります。『万葉集』にも山上憶良の歌に出てきます。今、旅というと楽しいものと思われがちですが、昔は基本的に歩くわけで、しかも山道もあるわけですから、つらいものでもありました。旅をする理由もさまざまで、『伊勢物語』の男は「身をえうなきものに」思って東下りをしました.自分なんて不要な人間なんだ、と思い込むのですね。『源氏物語』では光源氏が須磨から明石に行きます。これはスキャンダルになるような恋愛をしたため自ら身を引くのです。戦で都落ちをしたり、捕虜になって護送されたり、というのもあります。『平家物語』では平重衡が東に下る道を
「海道下り」
として描いています。『太平記』でも俊基朝臣再び関東下向の事」があり、これなど浄瑠璃の道行文につながりそうな文章です。
謡曲ではワキが「名ノリ」をして「自分はこれからこういう目的でこういう場所に行く」と言ったあと
「上ゲ歌」
という部分があり、これは「道行」と言われることもあります。そして「急いで旅をしたので現場に着いた」という「着キゼリフ」に続きます。
おっと、長くなってしまいました.続きはまた明日書きます。
- [2015/11/11 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(4)
- この記事のURL |
- TOP ▲
コメント
道行とは、和装コートでは、なかりけり。
いいなぁ、センセの道行、拝聴したいです。(拝読とは申しておりません、おねだりでも、ございません。)
みちゆき、という言葉を使って、ある映画のクライマックスのシーンを説明したらば。(北野監督のDollsですが)
私より少し年上の方から、
え?繋がり乞食がラストに向かうのに、道行を着てるの?道行なんて、けっこう高いよ、どこで拾ったんやろ?
(。。それは、和装の道行という外套を指しているんだろう。もう、イイや。私の拙い説明では、この人がこの映画をご覧になることは無いだろう・・。)
と、道行と言う言葉が、日常会話で通用するものではないと、痛感したことを思い出します。
ただ、同席していた20台の僕ちゃんから、同行二人(お遍路さんのことのようです)って、アレも道行って、言うんですかね?
と、質問されてまして。
君たちがどんな映画ですか?と聞いてきたから、説明したのに。喰いついてくるところは、言葉尻というか、単語の使い方への、疑問だけなのね?と、トホホな心境になりました。(言わなかった自分を褒めたい)
どちらの方にも、ごめん遊ばせ、わたしでは説明がおぼつかないので、シャッシャ携帯でググって見て下さいませ。と応えて事無きを得ました。
私は衒学にも、韜晦(とうかい)にもなれませんが。
慣れ親しんだ言葉は、誰にでも通じると思ってはイケないと、痛感しました。
因みに、韜晦を初めて目にしてから、韜も晦も、間違いなく書けたことは、一度たりとも有りません。(自慢にするな?失礼しました・・)
これからも辞書を道行にしていこう。
♪押し得子さん
なるほど、いわゆる道行コートですね。
ツカミに道行といってもコートではありません、と言えばよかった? いや、たぶんしらけるでしょうね(笑)。
ヤケッパチで、義経千本桜の道行をちょっと語ってやった(笑)。その直後に席を立った人がいたのですが、気分が悪くなったのかも(笑)。
・・・ツカミって、いや、まぁ・。
@ツカミに・・・
いや、ですからね?
確かに、授業でも、プレゼンでも、導入部でどれだけ惹きこむめるかが、肝心ですが。
ツカミって・・、そうか。センセの講座は、高座(寄席?)だったのか・・。
でも、@ヤケッパチで、義経千本桜の道行をちょっと語っ・・・。
って。あらま、やけのヤンパチの道行、だなんて。
それは道行の真髄かと存じます。
後の迷惑や、なりふり構う余裕があったら、こうはなって無いけど。
出来なかったんだから、もう何も言わないで!
それを納得させるのが、道行だと思います。
そっかぁ、センセの高座、違う、道行。やはり拝聴したかったです。くふふ。
♪押し得子さん
はい、私は完全に芸人ですし、高座なんです。今日は「公開高座」もやります(『信貴山縁起絵巻』)。
道行を低い調子で語ったら道行になりません、という話をして、「それを高い調子にすると」・・・と言ってしまったために、つい語ってしまいました。
それでなくても音痴なのに。
もう文楽のお話をするのは今年限りと言うことで、来年もし担当することになったらやはり平安時代でいこうと思います。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3685-22d071bc
- | HOME |
コメントの投稿