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秋のえんそく(2) 

源氏物語の夕顔の巻を授業で読んでいて、光源氏の家から六条御息所の邸まではどれくらい遠いのですか、という質問を受けました。地図を見れば距離は簡単に出ますが、実際にそれくらいの感覚だろう、と試してみたくなります。
京都の下級官人は通常一条や二条には住めませんでしたから(例外はあります)、彼らは大内裏の役所から七条辺りの自宅まで歩いていたことになります。その距離感を確かめたくて、以前一度歩いたことはある(伴大納言絵巻の右兵衛舎人の確認でした)のですが、もう一度ほぼ二条にあたる市美術館から七条の

    国立博物館

まで歩くことにしました。光源氏の邸は二条、六条御息所はいうまでもなく六条に邸がありましたから、おおむね同じ距離感だろうと思うのです。
神宮道を南へ南へ。青蓮院、知恩院を経て清水の塔、高台寺、大谷本廟、五条通り(国道1号線)を横切って、六条、七条。

知恩院
↑知恩院

ねねの小道
↑高台寺そばの「ねねの小径」

まだ紅葉はあまりきれいではなく、しかもこの日は気温が上がりましたので晩秋という感じがしませんでした。
光源氏は車で行ったのでしょうから疲れることはあまりなかったでしょう。それでも、牛車は時間がかかります。面倒だっただろうな、よほど恋しい人でないとしょちゅうは行く気にならないだろうな、などと感じました。

京博は話題の

    琳派

です。昨年の「鳥獣人物戯画」では待ち時間がかなり長くなりましたが、今回も長蛇の列でした。平日でさえこれですから、日曜などはどんな風になっているのかと思います。
私が行った時は宗達、光琳、抱一の「風神雷神図屏風」がすべて展示されている期間でしたから、余計に多かったのかもしれません。

京都国立博物館金銅八角燈籠(複製)
↑京都国立博物館
 西の庭「金銅八角燈籠(複製)」

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結局30分あまり待たされて入ることができましたが、入ったら入ったで大変な人。
日本にこれだけの人がいたのかと(笑)感心しました。
本阿弥光悦に始まり、宗達、光琳、抱一、乾山らへ。
平安時代に関心のある者にとっては、宗達の筆と伝えられる「伊勢物語図色紙」はやはり面白いです。奈良の大和文華館で何度か見た

    芥川図

も出ていました。
私は以前は工芸品にはあまり関心が無かったのに、最近は硯箱や茶壷などもと手も面白いと思うようになってきました。今ごろになって? とわれながら情けないくらいですが。そのうちのひとつ、東京国立博物館蔵の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」(尾形光琳)に会えたのも嬉しかったです。これはあまり人が集中していませんでしたので、ゆっくり見ることができました。
やはり圧巻は

    風神雷神図屏風

でした。
この部屋は多くの人が右を見たり左を見たり。この絵についてはもはや何も言うことがありません。
立派な展覧会とも、ごちゃごちゃしてあまりよく見えない展覧会ともいえます。
点数も多く、かなりくたびれました。
これだけ人気が出ることはある程度予想されていたと思うのです。
平成知新館での展覧会でしたが、明治古都館は使えなかったものでしょうか?
風神雷神図屏風は明治古都館で展示するとか、もうちょっと観客を分散する方法は無かったものか、それが気になりました。

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