護法(1) 

「護法」というと「法を護る」、ということはコンプライアンスにかかわる言葉か、と思ってしまいそうになりますが、そうではありません。今の「法」はむしろ律令の類で、「法」は本来「仏法」、仏の教えです。そして、仏法を守護するために使わされる神に「護法」があります。法力のある修験者が護法を使って病気の人に乗り移り、その人に取り憑いている物の怪などを退散させました。
ところで、「神」というと、キリスト教ならオールマイティゴッドで、天地を創造した唯一神。しかし日本における神はそんなものではありませんでした。キリスト教が日本に来た時、唯一神「ヤハウェ」は

    デウス(Deus)

と呼ばれたのであって「神」とは言われませんでした。当時の人たちの意識として、ヤハウェを「神」と同一視するのは違和感があったということなのでしょう。
神の語源は「上」と考えられがちですが、そうではないようです。古くは違った発音でした。ちなみに、「紙」はもともと中国から来たものですから「簡(かん)」が変化したものと考えられていて、これまた別のものです。「髪」は「上」と同じと考えることもできます。
「雷」の「かみ」は「上」ではなく「神」。要するに「神」というのは「人間に対してなんらかの

    威力を振るうもの」

でした。だから、猛獣も「神」なのです。虎のことを「神」といった例もあります(万葉集)。「鬼神」(おにかみ)」というと風流も知らない荒々しいものです。菅原道真の「天神様」は雷となって猛威を振るい、怖れられましたね。神は畏怖するものでした。

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奈良時代以降、本地垂迹(ほんぢすいしやく)という考えが盛んになり、仏と神が融合していきます。つまり諸仏が衆生を救う方便として仮に神としてこの国に姿を現したのだ、という考えです。
ただ、仏は慈悲深く、衆生を救ってくれますが、神はどこか冷たい感じもします。
こういうことを考えていたのは、公開講座で読み続けている

    『信貴山縁起絵巻』

で、ついに「護法」(剣の護法、護法童子)が登場するからです。
延喜の帝(醍醐天皇)が病気になって、いくら高僧に祈祷を頼んでもよくならないので、信貴山に住む命蓮(みょうれん)に依頼することにしました。この修験者は飛鉢の法を会得していて、食べるものは鉢を飛ばしてそれに米などを入れてもらうとその鉢を回収するという、オートマチック托鉢をしていた人物なのです。
勅使として信貴山に派遣されたのは六位蔵人。「どうか帝の病気平癒のために力を貸してほしい、つきましては都まで同道していただきたい」というわけです。「勅使」ですから、実際はもうちょっと命令的で「宣旨にて召すなり」と言っています。

    「宣旨」

は天皇の命令を伝える公文書です。これは普通断れません。命蓮も断りはしませんでした。ただ、彼は信貴山を降りる気はなく、「ここで祈祷しておきます」と返答するのです(つづく)。

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