清涼殿(2) 

内裏清涼殿はちょっとした宴会場にもなりえます。たとえば円融天皇の子、懐仁親王が生まれて五十日目におこなわれる「五十日(いか)の祝」は天元三年(980)七月二十日に清涼殿でおこなわれています。
このように、公的にも私的にも重要な場所であった清涼殿なのですが、写真のない時代ですから、実際の雰囲気は分かるようで分かりません。こういう場合に役立つのはやはり絵画資料です。百聞は一見に如かずですから、ぱっとその全体像をつかむことができます。
その代表例が

    『信貴山縁起絵巻』

です。
『年中行事絵巻』にも描かれているのですが、実はこの絵巻は原本が失われているのです(いくらかの模本があります)。『伴大納言絵巻』にも見られますが、詳細なのは『信貴山縁起絵巻』だと思います。『伴大納言絵巻』は南側から清涼殿の外と内、そして重大事件に関わる人物を劇的に描くことが中心になっているのに対して、『信貴山縁起絵巻』は東側から、つまり真正面から静的に見ているので全貌がよくわかります。

清涼殿
↑清涼殿(信貴山縁起絵巻)

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延喜の帝(醍醐天皇)の病気平癒の祈祷を依頼するために信貴山の命蓮のところに行った勅使(中央下)が戻ってきて、「命蓮が『自分は行けないが、山で祈祷をして護法を遣わす』と言っていました」と報告しています。
彼は

    六位蔵人(ろくゐくらうど)

で、この蔵人というのは天皇に近侍する立場にありますので清涼殿に上がることは許されるのですが、ここでは公卿に報告する立場だからでしょうか、庭に控えています。
勅使の足もとを横切るように見えるのが御溝水(みかはみづ)。溝になっています。彼の目の前には階(きざはし)があって、その上に柱にもたれるようにしているのは二人の上流貴族です。彼らは

    黒の袍(はう。うへのきぬ)

を着けており、この色は上流貴族の証です。装束は束帯で、正式の姿です。
それに対して左上の人物は直衣(なほし)姿で、やや気楽な格好です。こういう姿で清涼殿に上がっているのはよほど身分の高い、あるいは帝の縁につながる人物だからだと思われます。
おもしろいのは彼ら3人がすべて勅使の方に身体を向けていないことです。話を聴くならそちらに向き直っても良さそうですが、それをしないのです。二人の公卿は顔のみ勅使に向けていますが、もうひとりは耳を傾けるだけで、そっぽを向いているような感じです。これはやはり天皇(簾の奥にいます)に背を向けるわけにはいかないからでしょうか。

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