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清涼殿(3) 

公卿たちがいる場所は東の孫廂(まごびさし)。二人の貴人の裾(きょ)が簀子(縁側)に届いています。奥に簾が降りていますが、その向こう側が東廂で、さらにその奥が身舎(母屋。昼の御座)になります。
直衣の人物の左側が一段下がったように見えますが、ここが落板敷。左奥に置かれている衝立障子は「年中行事の障子」。この衝立の向こう側が殿上の間と呼ばれるところです。ここに公卿や殿上人が伺候します。
左下に勅使の従者がひかえていますが、彼の脇にあるのが河竹(溝竹)。右側は霞で隠れているのですが、本来は呉竹があります。
東孫廂の北側(画面右)には

    「昆明池(こんめいち)の障子」

という衝立障子がありますが、これもこの絵では見えません。この衝立の表に描かれた昆明池は漢の武帝が掘らせた池で、裏側には嵯峨での小鷹狩(こたかがり)の様子が描かれていました。この衝立は『伴大納言絵巻』には描かれています。

伴大納言の清涼殿
↑伴大納言絵巻

さらにこの孫廂の北の端には「荒海の障子」という手長足長(手の長い、足の長い、いずれも想像上の動物)を描いた衝立も置かれていました。

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上の『伴大納言絵巻』では東の孫廂に貴族が控えており(画面中央)、彼の背後に「昆明池の障子」が置かれています。この衝立障子は高さが6尺、幅は9尺だったそうですが、この絵ではむしろ

    縦長

に見えます。こういうところも『伴大納言絵巻』はリアルに描くということにさほど強いこだわりがなかったゆえかもしれません。
その右側に簀子があって、御溝水が右斜め上から左斜め下に流れています。右上端には石橋が架かっているのが見えます。
左側が夜の御殿の二間(ふたま)で、ここで清和天皇(左端)と藤原良房が向き合って話しています。天皇が夜の御殿にいたところに藤原良房が急遽やって来たので急いで二間に出てきて、しとね(ざぶとん)に座っています。良房は天皇の祖父ですのでかなりラフな格好で対面しています。

    烏帽子直衣(えぼしなほし)

で、冠ではなく烏帽子、束帯ではなく直衣。日常服です。今でいうとジャケットを引っ掛けているような感じでしょうか。天皇もあわただしく、冠も着けないでもとどりをあらわに見せています。応天門に放火したのは源信(みなもとのまこと)だということで罰せられそうになったのを良房が諌めているのです。このあと真犯人が伴大納言である(事実か冤罪かは別にして)ことが判明します。清涼殿は歴史のドラマの生まれる場面でもあったのです。

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