文化の香る大学 

以前も似たようなことを書いています。繰り返し御免。

女子大というと、以前は国文科、英文科がお決まりでした。それに家政科のような実学的なものが入ることがあってバランスを取っていました。
しかし女性も社会進出する時代なのだから、役に立たない文学などを学ぶよりは資格を取ったり、社会で戦力になるスキルを身につけたりする方が大事だという風潮が高まりました。
英文科は文学から抜け出して「グローバル時代に必要な英語教育」という面を強調することで、いくらか生きながらえています。
家政科は、食の領域を重視して「食物栄養科」の名称で管理栄養士養成コースに活路を見出しました。
それに対して、

    国文科

は音を立てるようにつぶれて行きました。日本人なら大学で学ばなくても日本語は話せるし、古くさい古典など学んだってしかたがない。そもそも高校の「古文」でとりあえず学んでいるのだからそれ以上は不要。現代文学なんていちいち教えてもらわなくても新刊書や文庫本を買って読めばいいだけ。国語の先生の免状を取っても採用試験は狭き門なのだから、本気で先生になりたい人は国立大学の教育学部に行けばいい。
ひとつの新しい考えが頭をもたげるとこれまでの価値観が

    必要以上に崩れる

ことがあると思います。その結果が決していい方向に向くと限らないのは、政治の世界を見ても明らかでしょう。既存政党はダメだと言って、斬新なことを言っては人気を勝ち取った政党があっという間に落ちぶれる。そんなのをいくつも目の当たりにしてきました。

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・・・と、国文科ノスタルジアに浸っているわけではないのです。文章指導や専門外の授業を持たされる苦しみをぼやいているわけでもないのです。
こういう時節だからこそ大学には

    文化の香り

を漂わせることが必要なのではないかと思うのです。
今私が仕事場にしている大学は、ややもすると消毒液の匂いがしそうです。学生は白衣やナースのユニフォームを着て学内を歩いていて、それはそれで大事なのですが、大学という感じに欠ける恨みもあるのです。国家試験があるために「教養の科目なんて単位さえ取ればそれでいい」という学生もいます。
以前、ある学生が「私は看護師を目指していますが、この大学ではめいっぱい文化のことも学びたいのです。そうでないと

    大学に来た気がしない

から」という意味のことを言っていました。
そうなんです。専門の勉強は一生懸命してほしいですが、それと同時に文化の香りを嗅ぎながら心を養ってほしいと思うのです。
先般、三味線の師匠においでいただいたのもそういう意味があってのことでした。私がやらないとこういうことがなくなってしまうという自負もあります。文学も美術も必ず彼女たちの心の琴線に触れると信じています。まだまだ頑張るつもりです。

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コメント

教養の大切さ

わたしの恩師がわたしの母校の学長に就任されたとき、生意気なわたしは恩師に対して「母校の人気が凋落しているいま、就職に有利で社会に出てすぐに役立つ資格が取れるコースを設けてはどうでしょう」と手紙で提案したことがあります。20年もまえのことです。

恩師から手紙で返事がありました。すぐに社会で役立つ資格取得は専門学校の役目。大学はあくまで教養を身につけることが役目。両者は棲み分けしている。そして教養を身につけるというのは、いろんな局面に立ってもやっていける能力を備えることなんだよ。海軍兵学校校長・井上成美は、戦争終結後にも役立つ人材を育てるため、軍部の反対を押し切って教養教育に力を注いたんだ。でも提案はありがとう。とやさしく諭してくださいました。

恩師の手紙で、どっちが良い悪いということではなくて、専門学校と大学の役割の違いを知りました。しかしいま大学がどんどん専門学校化していき両者の棲み分けができなくなってきています。そして次第に教養を身につけることが重要視されなくなってきました。いまあらためて教養を身につけることの大切さを、しみじみと思うのです。

♪やたけたの熊さん

以前、国文科の教員だった時も、国文科の専門家を育てるのではなく、教養としての国文科、という考えがありました。
それにもかかわらず、若気の至りで、学生に学問的なことを押し付け過ぎたきらいがありました。
その反省もあって、「教養=幼稚な専門教育」ではなく「教養=深い想像力教育」とでもいう方向に舵を切りました。
それが正しかったのかどうかは多分最後までわからないでしょうが、今後もこの方向で行くしかないように考えています。
創作浄瑠璃を聴きながら、場面や人物の心情を想像する姿勢を学生は見せてくれました。自分から進んで参加して、誰ひとり居眠りもせずに。
教養教育、特に文化、文学の場合は何のスキルが身に付くわけでもありません。しかしやはり重要なものだという確信は日増しに強まっています。

続・教養の大切さ

ひとつ書き忘れました。教養を身に付けるところは大学だけではありません。わたしの身近に大学に進まずとも教養豊かなひとがいます。

反対に大学に進みながらも教養のないひとの多いこと。一昨日職場の忘年会がありました。「お義理忘年会」です。たまたまわたしの向かいの席に、会社が契約している若手の経営コンサルタントが座ってました。いわゆる「いい大学」を卒業していまの職業に就いたそうです。このひとの会話ですが、おカネにまつわることに終始するのです。そりゃわたしもおカネは嫌いではありません。でも「おカネ、おカネ」と言われ続けるとうんざりしてきます。ほかに話題はないの?と気持ち悪くなってくるのです。2時間経って散会となり、ようやく「おカネ会話」から逃れました。ああぁ疲れます。

♪やたけたの熊さん

そういう人が「熊さん、ボク、いつもお金の話ばっかりしてますけどね、実は落語が好きで、繁昌亭の常連なんですよ」なんていってくれるとうれしいですけどね。

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