小弓と蹴鞠(3) 

小弓は簀子(縁)でできるような「あそびわざ」でした。しかも座って膝だけを立てて射るのですから、さほど大きな動きはありません。射る人も見物する人も矢を放つまでは息を詰めているような静的な競技です。
一方、蹴鞠は庭に出て声を挙げながら鞠を蹴り合うので動きがあって騒々しく、活発なものです。観ている人もしょっちゅう歓声を上げることがあったでしょう。
光源氏は最初「静的なあそびわざ」である小弓をすればよかったと言っていました。しかしそれを好む若者が帰ってしまったので「乱りがはし」とは思いながら蹴鞠をさせることにするのです。この、

    小弓から蹴鞠への変更

が効果的です。緊張感のあるおとなしい競技から「乱れ」を感じさせる派手な競技へ。当然、場の空気も変わってくるのです。実はこのあたりに紫式部は「乱りがはし」ということばを再三使っています。それ以外にも「乱れ」という言葉も用いています。直接的には蹴鞠のことを言っているのですが、それと同時に、これは場の空気の乱れ、何が起こってもおかしくないような雰囲気を読者に伝える紫式部からの

    メッセージ

なのではないかと思います。
もし小弓を好む若者がいたら、光源氏は蹴鞠などさせることはなく、このあとに起こる重大事件は引き起こされなかったのです。「小弓をさせればよかった」と光源氏に言わせる紫式部のうまさはさすがだと思います。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

夕霧とともに蹴鞠に加わった柏木は大変な腕前(足前?)で、見事に蹴り続けます。おりしも夕日が射すころで、若くて美しい青年が見事な技を披露する、というのでギャラリーの注目は柏木に注がれ、柏木もおそらく自慢したいような気持ちになっているでしょう。
蹴鞠は最初当時の貴族の邸宅の中心になる建物である

    寝殿

の東側でおこなわれていたのですが、もともと蹴鞠場があるわけではありませんから、少しずつ場所が変わってきます。そしていささか窮屈な東庭から西側、つまり広々とした寝殿の南庭のほうに移ります。ひょっとしたら蹴鞠チームは二つか三つできていたかもしれません。
この屋敷は、六条院といって、ほぼ230m四方の広大な敷地を持っていました。当時はおよそ110m四方の屋敷が大貴族の寝殿造の邸宅で、それを4つ合わせた広さなのです。230mということは、ウサイン・ボルトでも20秒はかかってしまいます。そしてそのうちの南東部に当たる4分の1、つまり普通の上流貴族の邸宅ひとつ分に女三宮と呼ばれる光源氏の名目上の正妻と紫の上と呼ばれる事実上の正妻がいるのです。

    女三宮が寝殿の西側

を使い、紫の上は東の対(寝殿から「渡殿」と呼ばれる渡り廊下を隔てて東側に建てられた別棟の建物)を住まいとしています。今彼らはこの南東部(辰巳)にいるのです。
女三宮が寝殿の西側を使っていると申しましたが、寝殿の東半分はつい最近まで光源氏の娘である明石女御が出産のために内裏から里帰りして使っていたのです。今は明石女御も内裏に戻ったため、ぽっかり空いています。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3730-3c6a7349