歩き正月(3) 

三が日最後の日です。この日は午後には帰宅するため、あまり長い散歩はできません。
そこで、元日からの二日間とは逆に川沿いを上流に向かって歩きました。こちらは山道で、もう、ほんとうに何もありません。人家はまばら。夜など歩くと怖いです。まれに車が狭い道(歩道のないところもあります)を猛スピードで走ってきますので危ないですし。
私も1回か2回乗ったことがあるのですが、路線バスがあるのです。しかしこれがめったに走っておらず、新幹線のドクターイエローのように、このバスに出会ったら幸運に恵まれるのではないかと思うくらいです。
時刻表を見てみると平日6便、土日祝日は4便のようです。

大竹JRバス時刻表
↑バス停の時刻表

大竹JRバス停
↑バス停。ここに人がいるのを見たことがありません

しばらく行くと名前のわからない(笑)神社がありました。麓の鳥居にはきちんと門松が飾られているのですが、予想どおり神社に参っている人はいませんでした。
上まで昇ったのですが、結局社名がわからないままです。

大竹某神社
↑某神社

さらに少し歩くとまたまた神社。人家はあまりないのに、神社は次々に。不思議なくらいです。これは鳥居に「大元神社」とありました。鳥居まではなだらかな階段、さらにそこから急な階段。面倒です。

大竹市 大元神社鳥居
↑大元神社鳥居

大竹市 大元神社
↑大元神社

「交通安全祈願祭」という幟があるのですが、だれが祈願に来るのか、だれが祭をしてくれるのか、地元の人に聞かないとわかりません。しかしその地元の人の姿がありません。
社殿を覗くと絵馬がかかっていたりして、なかなか趣がありました。

大竹市 大元神社内部
↑大元神社社殿内部

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私が歩いている道は旧山陽道ですが、川向こうには高速道路(岩国自動車道路)が山の中腹を横切っています。この道をもう少し南西に向かって走るとこの近辺でいちばんの都会、山口県岩国市です。
西国から都に向かって旧山陽道を歩く場合、周防国から安芸国へは小瀬川を渡し舟で越え、私が歩いている道をいくらか川の上流に向かったあと、突然山に入ります。山を越えて行くのです。ここも長州戦争の戦跡という石碑が建っています。

大竹市 苦の坂入口
↑長州戦争戦跡碑、苦の坂入口

下の写真は石碑のすぐそばなのですが、道があるのがおわかりになるでしょうか?

大竹市 苦の坂入口 神社参道
↑苦の坂入口

え? 左側にあるじゃないかって? いえ、それは道の脇にある神社の参道です。山陽道は右側。溝のようなものが見えますが、その右の土手の部分を溝に沿って奥へ歩いて行くのです。私も少し歩きましたが、とても天下の山陽道とは思えません。案内板には「遊歩道として整備した」と書いてあるのですが、どこが整備されているのかいまひとつわからないくらいです。

大竹市 苦の坂
↑苦の坂を少し登ったあたり

さて、この日の目的地はさきほど「神社の参道」と書いた、その

    滕池(ちきりいけ)神社

でした。推古天皇の頃、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が筑紫から厳島神社に向かって2歳の子とともに旅をしていて、このあたりの山越えをしようとしたのですが、あまりにも険しく苦しいので、ここを「苦の坂」と呼び、少しでも荷物を減らそうとして機織りの部品の「滕」を捨てました。それが池に落ちたのですが、その池の跡地に建てたのがこの「滕池神社」だと伝えます。
厳島神社の管絃祭(旧暦六月十七日)にはこの神社の石垣の一部から潮水が湧き出る「汐湧石」という江戸時代の伝えもあるそうです。

大竹市 滕池神社
↑滕池神社

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