国性爺合戦 第四(2) 

《碁立軍法》
一方、呉三桂は山から山に身を隠しつつ、太子(華清夫人の腹から取り出した、皇帝の子)を育てて二年になります。今日は九仙山に登り、しばし佇んでいます。そこで老人が二人、脇目も振らずに碁を打っています。
呉三桂は「琴詩酒の楽しみをせずに碁を打つのは何か楽しみがあってのことですか」と声をかけます。老人は「碁盤と言えば碁盤、碁石と言えば碁石だが、世界を碁盤に例えることもある」などと答えます。さらに呉三桂と翁は「天地一体の楽しみに二人向き合うのは?」「陰陽ふたつなければ万物は整わぬ」「勝負は?」「時の運」「白黒は?」「夜と昼」「手段は?」「軍法」と問答します。
翁は重ねて「今日本から国性爺という勇将が来て、明国の味方をして

    合戦の最中

だ。場所は遥かな所だが、目の前に見せてやろう」というと、そのありさまが見えるのです。雲雀や北に帰る雁の飛ぶ春、国性爺が乗っ取った石頭城には大小の旗、登り、馬印などがはためいています。夏の半ば、南京の雲門関。国性爺はここを通るのに、「関破りをするのは簡単だが、弁慶の安宅の関の故実にならおう」と、玄宗皇帝の建立した楊貴妃の廟所、大真殿の再興のための勧進という体で勧進帳を読み上げます。関の役人は国性爺と知って攻撃しますが、国性爺はいとも簡単に関を破ります。秋、韃靼の海利王が立てこもる山城に迫る国性爺が夜討ちをします。虫の声が澄み渡る中、高提灯を一気に掲げて攻め、敵が城に退却すると火矢を放ってあたりは焦土と化します。冬、国性爺が奪った長楽城は雪景色が美しいのです。国性爺は諸国の府を手に入れて太子の来るのを待っています。これらの様子が呉三桂に

    ありありと見える

のです。
呉三桂は喜んで太子を抱いて城のある方へ駆け出そうとします。すると二人の老人が押しとどめ、「今見たのは一瞬のことと思っただろうが、お前はこの山に入ってすでに五年が経っている。そのうちの四年を四季の戦いとして見たのだ。私は明国の先祖の高皇帝だ」「私は青田の劉伯温」。二人は月の世界に住むと言い、月は欠けるがまた満ちる、太子の位は日本の神力を得て成就すると言い残して姿を消しました。

※史実としては、高皇帝は朱元璋、すなわち明の初代皇帝の洪武帝。劉伯温は軍師、詩人、政治家、文筆家で、洪武帝を助けた劉基。文成県(青田)出身なので、劉文成、劉青田とも。

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呉三桂は茫然としますが、月日が経ったしるしに、彼の顔には髭が生え、太子はすっかり背丈が伸びていかにも七歳の物腰で「呉三桂」と召すのです。呉三桂は喜んで太子の前に手をついて「国性爺に太子がご無事だと伝えたい」と言います。すると谷の向こうから「そこにいるのは呉三桂ではないか」という声がします。

    鄭芝龍(老一官)

でした。鄭芝龍は「国性爺の日本の妻が栴檀皇女のお供をしてきた」と言って皇女と小睦を招きます。皇女は「柳歌君が命がけで舟に乗せてくれて、その舟が日本に行き、老一官親子の情けでまたこうして会えた。柳歌君やあなたの子はどうしているか」と問います。呉三桂は柳歌君がそのときの深傷がもとで亡くなったこと、華清夫人も亡くなり、腹の子を取り出して我が子を身代わりにしたこと、太子は七歳に成長したことなどを告げます。老一官が振り返ると、皇女を追って敵が攻め上ってきます。呉三桂に逃げ道を問いますが、とても逃げられそうにありません。呉三桂は高皇帝と劉伯温に願い、小睦は

    住吉の神

に祈ります。すると雲がたなびいて架け橋となり、彼らがそれを渡って行くと向こうの峰にたどり着きました。あとを追ってきた梅勒王らの軍は同じようにこの橋を渡楼としますが途中で風が吹いて雲が切れ、真っ逆さまに落ちて行きます。かろうじて助かった梅勒王が岩根を伝って登って行くと、呉三桂が待ち構え、碁盤で梅勒王の頭を微塵に砕いてしまいます。
そして一同は福州の城に入ったのでした。

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