国性爺合戦 第五(1) 

『国性爺合戦』は壮大と言うべきか、何とも派手な物語です。
当然ながら、初めてこの作品を文楽で観た時は「紅流しから獅子城」まででしたから「な〜んだ、合戦って、最初だけなのか」と思いました(笑)。しかし原文を読んでみるととんでもない。合戦だらけでした。一体当時はどうやって上演したのだろうと思うくらいです。今と違って人形や舞台の

    スケールは小さい

ですが、小さいからこそできたこともあったのではないかと思います。
三段目の最後で国性爺の母が亡くなる時に、彼女は息子と甘輝に向かって、韃靼王は母の敵、妻の敵と思って立ち向かえと遺言しました。それは果たされるのか否か、五段目で決着がつきます。ものはついでですから、五段目のあらすじも書いておきます。

国性爺のもとに、呉三桂が太子を、小睦が栴檀皇女を連れてきたので、印綬を捧げて太子は永暦皇帝となります。そして陣屋の上には

    伊勢大神宮

を勧請し、韃靼王を討つため、延平王国性爺は司馬将軍呉三桂、散騎将軍甘輝と軍議を凝らしています。
呉三桂は「数千本の竹筒の中に蜂を入れて雑兵に持たせて戦をする体にしてそれを捨てて退却させます。すると韃靼の兵は貪欲ですから食物と思って筒を開けるでしょう。飛び出した蜂に刺されて苦しみますから、その時に攻めれば討ち取れます。もし子供だましだと察したら積み上げて焼こうとするでしょうから、筒の底に火薬を詰めておきます。そうすれば爆発して生き残るものはないでしょう」と言います。
甘輝は「折櫃二三千合をこしらえ、菓子、干飯、酒、肴などを準備して毒を入れて陣屋に並べておきます。敵を陣屋に引きつけて戦に負けたふりをして退却します。すると敵はこの食物に目がくらんで手当たり次第食べるでしょう。すると毒が回って全滅します」と計略を語ります。

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しかし国性爺は「計略はわかったが、自分は

    母の遺言

があるから韃靼王や李蹈天に真っ向から立ち向かって倒さなければ不孝になる」と涙を流して言います。「母は日本の恥ということを思われた。私も日本の生まれだから伊勢大神宮を勧請している。今、こうして王となったのも日本の神のおかげだ。竹林で従えた者どもを日本風の髪型にしている。彼らを真っ先に立てて弓矢や武道に長じた日本からの加勢だと見せることで韃靼は怖じるであろう。そのことを我が女房と示し合わせている」と言い、「源の牛若、兵とともにここへ」と呼ぶと、小睦が現れるのです。
そこに栴檀皇女が鄭芝龍の書き置きを持って出てきます。それには「私は明朝の恩を報ぜんと思ってこの国に戻ったが、何の功もなく誉れもない。この上は、南京の城に向かって討ち死にし、美名を和漢にとどめる。 鄭芝龍老一官 行年七十三歳」とありました。
国性爺は立ち上がって「こうなれば母の敵、父の敵。

    知略も軍法も

いらぬ。韃靼王と李蹈天の首をねじ切って討ち死にし、父母の冥途の旅を同道する」と駆け出します。すると甘輝は「私にとっては妻の敵」、呉三桂も「妻の敵、子の敵」というので、三人は出立します。この三人の太刀先にはいかなる天魔疫神も面と向かうことはできないでありましょう。

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