七福神(4) 毘沙門天、弁財天
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正月に廻ってきた七福神ですが、初詣をした大瀧神社という神社の参道の入口に「毘沙門天」、神社の境内に「弁財天」があります。
いかつい毘沙門天と優美な弁財天は好一対にも見えます。
毘沙門天は私が一年間公開講座で読んできた「信貴山縁起絵巻」とも関わりがあります。以前書いたことがありますが、信貴山は物部と蘇我の争い(6世紀)の時に、蘇我氏に与した聖徳太子がこの山で必勝を祈願したところ、寅の年、寅の日、寅の刻(ってどこかで聞いたような話ですが)に毘沙門天が出現して、その加護によって聖徳太子は勝利したのだそうです。
信貴山縁起絵巻に登場する
命蓮(9〜10世紀)
という僧がこの山に登った時には、毘沙門天を安置した堂ひとつしかなかったそうで、その後整備されて行ったということです。
この絵巻物の最後には、命蓮が鉢を飛ばして得た倉の木の端で造った毘沙門天を持仏(身近に置いて日常的に信仰する仏)とすると裕福にならない者はなかったと書かれています。
毘沙門天は須弥山の北方を守護し、帝釈天、羅刹天、水天などとともに十二天の一です。また持国天、増長天、広目天とともに四天王とされる
多聞天
が毘沙門天と同じとされます。
甲冑に身を固め、鉾を持ち、忿怒の相をしていますのでかなりこわいのですが、福徳を与えるという面もあって、それで七福神のひとつになっているようです。先に書いた、倉の木の端で造られた毘沙門天を持仏とすると裕福になるというのはこういうところと関わりがあるのか、無縁なのか、もう少し考えてみたいと思っています。
↑毘沙門天
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さて、最後に登場するのは万緑叢中紅一点の弁財天。この神様は、もともとインドの河の神でした。文字としては「弁才天」が本来で、弁舌にすぐれているのですが、同時に音楽の才や知恵も備えているのです。彼女のように弁舌さわやかで芸術に理解があって知恵のある人が政治家になるといいのですが、難しいものです。弁舌がやかましいだけの人が政治家に多すぎるような気がします。
「弁才天」は、室町時代の終わり頃には
福徳の神
ともされて、その結果「財」の字が用いられるようになり、今ではむしろ「弁財天」の方が多く用いられるようです。
彼女は、八本の腕、つまり八臂の像ですと鉾や盾などの武器を持っているようですが、七福神としてはもちろん二臂で、持っているのは楽器の
琵琶
です。諸芸上達の神様にふさわしい持ち物でしょう。
実は私の家のすぐ近くの橋が「弁天橋」というのです。そして少し離れたところには弁財天を祀る祠もあります。近所と言えば、阪急電鉄宝塚線にも七福神があって、布袋=清荒神(宝塚市)、寿老人=中山寺(宝塚市)、恵比寿=呉服神社(池田市)、大黒天=西江寺(箕面市)、福禄寿=円満寺(豊中市)、毘沙門天=東光院(豊中市)で、弁財天は箕面山瀧安寺(箕面市)だそうです。瀧安寺によりますと、竹生島(滋賀県)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島県)と並ぶ「四弁財天」のひとつだそうですが、一般的には瀧安寺以外を「三弁財天」といっているようで、まあ、なんといえばいいのでしょうか。
ほかにも天川村の天河大弁財天社がありますし、弁天社、弁天堂は各地にあります。海、河、湖、池など水に関わるところが多いようです。
↑弁財天(大瀧神社)
- [2016/02/04 00:00]
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