おこなう 

仕事というのは同じことの繰り返し、という面があります。
高校生のとき「将来高校の教師になる」と話したら、友人が「学校の先生なんか、毎年同じことばかり教えるんだからつまらない」と言っていました。たしかに、化学の教員は「すいへーりーべ」と唱え、日本史教員は「1600年に関ヶ原の合戦があって」と言い続けるのです。たまには

    「関ヶ原の合戦なんてなかった」


と言いたくならないのかな、と思います(笑)。しかしそういうことをしてはいけないのです。繰り返すことに意味があるのです。
教員だけではありません。すし職人は毎日ご飯を炊いて魚をスライスして握り続け、パイロットは定められたコースを飛び続けるのです。すし職人は新ネタを工夫することもあるでしょうが、基本的には繰り返すことで技を熟成させていきます。文楽の技芸員さんも公演期間中は概ね日々同じことをしています。だからこそ気づいたことを微妙に改めていくこともできるのでしょう。学校の教員も同じ内容を教えながら教え方や話の仕方に工夫していくのです。
もし私が文学部の教員なら『源氏物語』のような著名作品だけでなく、マイナーなものも取りあげて平安時代文学の

    全体像

がうかがえるようなないようにしたいと思います。しかし今はそうはいかないのです。私は「文学」という授業を担当していますが、担当する時の申し合わせで「教養の授業という点に鑑み、『源氏物語』などの著名作品を取りあげる」ということになり、やむを得ずしょっちゅう『源氏物語』の話をしています。

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それでも、同じことを繰り返すことは役に立ちます。前回不満だったことを今回はうまく話そう、ということができますから。ネタは同じでも、新たな資料を加えたり、説明の方法を根本的に変えることもできます。

    おこなう

ということばがあります。この言葉の本来の意味は「儀式などを同じような形で進めること」です。「おこ」が「同じような形で進める」ことで、「なう(古くは「なふ」)」は「うらなう」「ともなう」「あきなう」などにも見られるように「あることをなす」という意味を持ちます。「うらなう」は「占(うら)」をすること、「ともなう」は「お供」をすること、「あきなう」は「あき(秋=収穫したものを売ったり交換したりする)」をすることです。
ですから本来「おこなう」は仏事の勤行、修行のように同じことを繰り返すものなのです。法をおこなうというのは法で決まったことをそのまま実施することです。

    「怠(おこた)る」

の「おこ」も同じです。「おこたる」は「『おこ』が『垂れる』」、つまり「同じように進めているうちに調子が途中から悪くなること」を意味します。修行しているうちに「毎日こんなことするのは面倒だな」ということになってサボるのが「おこたる」なのです。
仕事は同じことの繰り返しが原則です。しかし、概して人間は繰り返しているうちにだらけてくるのです。教員も、毎年同じようなことを教えているからつまらないのではなく、同じことをしているうちに怠るようになるからつまらなく見えるのだろうと思います。言い換えると、怠りさえしなければいい修行ができるのです。

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