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粉河寺 

平成の大合併は、私の周辺ではあまり関係なかったのですが、やはり各地で町村がかなり消えて行ったようです。
広島に廿日市市(はつかいちし)という市があります。もとは佐伯郡廿日市町といったのです。広島市が周辺の町を吸収合併したとき、おとなりの五日市町は広島市に入りました。ところが廿日市町はそのまま市になったのです。人口は数万人、ほんとうに小さな市でした。ところが平成の大合併であの厳島神社のある宮島町などと一緒になって大きな廿日市市になりました。私は、そのときはもう広島にはいませんでしたので、久しぶりに行ってみたら宮島が廿日市市になっていたのでびっくりしたものでした。
近畿地方の中ではもっとも存在感の薄い県が

    和歌山県

です。「近畿のおまけ」などと揶揄されることもあり、京都、兵庫、大阪、奈良、滋賀がそれなりに目立つものを持っているのに対して「和歌山って何があるの?」と思われるくらいなのです(実際はいろいろあるのですが)。近畿地方に住んでいても、和歌山の話題などほとんど接することがありません。和歌浦には名所がござる、といっても、その存在を意識することはないといってよいくらいです。
ですから平成の大合併で

    紀の川市

ができたことなど知りませんでした。

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和歌山市から紀ノ川を遡っていくあたりにあるのがこの市なのですが、その中にはかつての那賀郡粉河(こかわ)町も含まれているのです。
「傾城阿波の鳴戸」のおつるが「父母(ちちはは)の 恵みも深き 粉河寺」と歌う、あの粉河です。
粉河寺は奈良時代の終わりに創建されたと伝わっており、猟師であった

    大伴孔子古

という人物が創建者ということになっています。この人物がいかにして発心して寺を造ったかについてはいくつかの史料が残されていて、それによると、彼はいつもイノシシや鹿を狙って決まったところに潜んでいたのですが、ある日、その近くに赫奕(かくやく)たる光が見えたのです。近づくと光が薄れ、離れるとまた光るので、彼はそこに柴の庵を建て、なんとか仏像を安置したいと思っていました。しかし彼には仏像を造る能力はありません。そんなとき、童形の行者が来て、寄宿を請い、その返礼に七日で仏像を造ってあげようというのです。そして、八日目に孔子古が行ってみると、千手観音が完成していたのです。これが粉河寺の本尊になるのです。
こういった伝承を絵巻物にしたのが

    粉河寺縁起絵巻

です。残念ながら焼損しており、きれいな形では残っていないのですが、12世紀の絵巻物として今に伝わり、国宝になっています。
この春休みはこの絵巻物をいくらか勉強して、新年度の公開講座で取りあげようと思っています。後期には「吉備大臣入唐絵巻」か「源氏物語絵巻」を取りあげて、絵巻物講座の有終の美を飾りたいと思っています。

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コメント

高野山・白浜・西牟婁郡

縁があるわけではないのですが毎年和歌山に一度は行っています。昨年は白浜、一昨年は高野山、その前は白浜と同じ西牟婁郡の保育所です。粉河寺はまだですね。

♪野崎小町さん

ご苦労様です。私、実は和歌山には縁があって、ある事情で和歌山県人になる可能性があったのです。
出張、行きたいです。

おおそれはそれは。
出張、交通費の実費のみで日当も何もないので使うのは気と時間ばかり、です。

♪野崎小町さん

いつでも代わりに行きますよ(笑)

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