喪中 

父が亡くなったとき、その直後が年賀状の季節でしたので、「喪中につき新年のご挨拶を失礼致します」といういわゆる

    喪中はがき

を作りました。当時はまだワープロ専用機を使っていまして(パーソナルなパソコンは持っていませんでした)、それで作りましたから、ほんとうに味気ないものでした。まあ、喪中はがきにあまり濃い味があってもいけませんが。
今年も、というか去年の末にもいくらかの喪中はがきをいただきました。親を亡くす年代になっていますので、しかたがないこととはいえ、やはりつらいものです。
以前はそういうお葉書をいただいた場合はこちらかも年賀状を差し上げることを遠慮していたのですが、今年はご挨拶状という気持ちで年賀状を使ってお便りを書きました。
もとより喪中欠礼というのは喪中の人が

    「めでたい」

というのを忌む意味があるのでしょうから、こちらも「めでたい」という言葉そのものをうまく遠慮すればいいのだろうと思います。
また、いくら喪中でも、新年になればそれなりに明るく暮らしていらっしゃるでしょうから、やけに明るい色の年賀はがきが届いても許されるだろうという思いもあります。
年賀状そのものの歴史がさほど古いものではありませんから、決まりというほどのものも明確ではなく、そのあたりはうまく対処すれば問題ないように思います。

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平安時代には喪の規定がありました。
天皇、上皇、親、夫が亡くなると一年の喪に服すので、この規定を守るなら、その年のうちに亡くなった人の服喪で年賀状を失礼するというのは理屈にかなっていることになります。
ところが、当時は祖父母・養父母は5か月、曾祖父母・外祖父母・妻・兄弟姉妹・夫の父母・嫡子などは3か月など、誰が亡くなったかによって

    服喪の期間

は異なっていたのです。
妻が夫を亡くすと1年で、夫が妻を亡くすと3か月というのは男女差別みたいですね。学生に話すとたいてい彼女たちは怒っています。男女だけでなく、嫡子かどうかでも差別されるわけです。
今は祖父母でも兄弟でも一年は喪中ということになっていますが、現実的には数日後には仕事に戻っているわけで、いつまでも喪中というわけにはいかないのです。昔も、

    四十九日(満中陰)

がひとつの目安のようになっていて、源氏物語の光源氏は妻の葵の上が亡くなったあと、ほぼ中陰(中有。人が次の生を受けるまでの四十九日。これが満ちると満中陰)の期間は妻の実家に籠っていて、服喪の規定のために深く染めた喪服を着られないのが悲しい、などと殊勝なことを言っています。ところがその後自分の家に帰ると、あっさりこれまで妹のようにして育ててきた若紫の君(紫の上)を名実ともに妻にしてしまうのです。
立ち直りが早いというか、手が早いというか・・・。

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