夕月夜 

月はいつ観てもいいものだと思います。仕事場から帰るのはほとんどとっぷり日が暮れてからなのですが、天気さえよければ必ず月の位置を確かめながら帰ります。満月の場合はちょうど東の空のいくらか昇ったあたりに見えていますので感動します。下弦の月だと残念ながら見えません。上弦の半月くらいなら南の空にきれいに見えます。
三日月は建物を出たあたりでは見えませんが、西に向かって帰りますので、ちょうど目の前に鎌を研いだような姿を長い時間見続ける事になります。
三日月に限らず、旧暦の月初めの月は夕方に見えてやがて沈んでいきますので独特の趣があります。こういう月を昔の人は

    夕月夜

といったのです。「夕月の出る夜」というよりも「夕月」そのものの意味です。
この言葉は『源氏物語』には七例用いられています。全てではないのですが、なんとも「あはれ」な状況で出てくる事があります。たとえば「桐壺」巻では桐壺更衣(きりつぼのこうい)が亡くなったあと、その母のもとに帝が使者を送るのです。それが夕月夜の出るころでした。天皇というのは原則的に

    24時間内裏に居る

もので、直接更衣の母を見舞う事などできず、靱負命婦(ゆげひのみやうぶ)という女官を使者にしたのです。娘を失った母ですから、元気なはずがありません。しかも愚痴っぽくなりますから、使者となった命婦もたいへんです。月はやがて入り方(沈みかけ)となり、ついには山の端に沈みます。その間ずっととぎれとぎれの話が続いているのです。夕月の印象がとても効果的です。

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そもそも夕月夜には何とも頼りない、おぼつかない印象があります。和歌でもそのような詠み方がしばしばなされていました。ぼんやりとして光が淡く、しかもあっけなく沈んでしまうのです。
同じ『源氏物語』でも「賢木」巻では、都から離れた嵯峨野の風景です。六条御息所(みやすんどころ)は、光源氏と親密な関係になりながら、賀茂の斎院の禊の行列を見に行った時に光源氏の正妻の葵の上に車を押しのけられるという屈辱を味わいます。その後、彼女の魂が

    物の怪

となって出産間近の葵の上のところにさまよい出て、ついに葵の上は死去してしまいました。しかも光源氏は物の怪の正体が御息所である事を知ってしまったのです。光源氏との愛に絶望した御息所はたまたま娘が伊勢斎宮となって都から離れるので、それについていくことにしました。そして、潔斎する娘とともに嵯峨の野宮(今の野宮神社はその名残ですが、同じ場所というわけではありません)にいるのです。そこを光源氏が訪ねていきます。御息所は都を離れたら、もう二度と戻ってこないかもしれません。斎宮というのは天皇が交代するまで伊勢に居ますので、任期が決まっているわけではないのです。これが今生の別れかもしれない。そんな思いで二人は語らいます。野宮は

    草深い

ところです。そこに射す夕月夜は華やかで、光源氏の身のこなしが映えると「似るものなくめでたし」という様子なのです。草深いといえば「蓬生」巻の末摘花邸を夕月夜の下で光源氏が通りかかる場面も同様で、寂しげな女性の居る所に男性(あるいはその使者)が訪れる場面に夕月夜はよく似合うといえるのではないか。そんな事を考えています。

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