おとなたちの遠足(2) 

風俗博物館で平安時代の貴族の邸宅の様子や装束を見学したあと、堀川通を北へ向かいます。平安時代の大内裏はこの堀川の西にあったのですが、今の京都御所は東側です。京都は平安時代の頃から東が栄えるようになり、貴族も左京(平安京の東半分)にもっぱら住むようになっていました。京都御所は、14世紀以来、明治の東京奠都まで長らく皇居として用いられてきました。当然、周辺には貴族の屋敷も多く、今の京都御苑(御所の周辺)にも屋敷が並んでいました。今はわずかに今出川通りの北側に

    冷泉家

があるくらいです。
さて、いよいよ京都御所の見学です。一般公開の時は宜秋門から入って清所門から出るのですが、通常の見学コースは入退場共に清所門です。一般公開の方がいいのは紫宸殿の前を通れることです。通常見学では承明門(南側の正門である建礼門の内側の門)越しに「あれが紫宸殿です」と遠望するだけなのです。私は一度だけ紫宸殿の中に上げてもらったことがあります。ああいう体験も皆さんにしていただけたらと思うのですが、なかなかそうはいかないようです。そして紫宸殿の北側を通って今回の目的である

    清涼殿

を見学します。平安時代の清涼殿は天皇の起居の場でしたが、京都御所では16世紀に「御常御殿」が建てられ、日常生活はそれ以後そちらに移り、もっぱら政務や儀式の場になりました。それでも「呉竹」「河竹(漢竹)」「年中行事の障子」「石灰壇」「昆明池の障子」「荒海の障子」「弘徽殿の上の御局」「御溝水」その他、古来の体裁を多く保っています。一般公開の時は人が多すぎて写真もうまく撮れませんので、こういう機会にしっかり撮っておきました。

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清涼殿は東庭から眺めるだけですので、夜の御殿(天皇の寝所)などは見えません。上がりたいなあ、いたずらはしないから入れてくださいよ(笑)。
『伴大納言絵巻』では清涼殿の夜の御殿の東側、

    二間(にのま)

に天皇と藤原良房が座っている場面が描かれています。そして、誰なのか定説はないのですが、もう一人の人物が昆明池の障子の前にかしこまって座っているのです。そういう場面を覚えていてくださる方は、こういうところを御覧になるととてもおもしろかっただろうと思います。
『信貴山縁起絵巻』では、清涼殿の東孫廂に公卿(上流貴族)が柱を背に座っていて、信貴山に行っていた蔵人が東庭の階の下に座って報告しているのでした。そして蔵人の従者が河竹の蔭に隠れるように控えていました。そういうことも思い出していただくのもなかなかおもしろいと思うのです。
『源氏物語』に講座に来てくださっているかたは、たとえば光源氏の母の桐壺更衣というのは

    桐壺

すなわち淑景舎(しげいさ)を拠点として、そこからこの清涼殿まで天皇に召されてやってきたことなどを思い出していただけると思います。また、弘徽殿の上の御局、藤壷の上の御局も清涼殿にあり、弘徽殿大后、藤壷中宮の名も思い出していただけるかと思います。
教室とは違った学びをしていただけたとするなら、お誘いした意味があったと思います。

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