閑院宮 

「かんいんのみや」を変換したら「姦淫飲み屋」と出てきました。びっくりします。どんなパソコンやねん、とつっこみたくなりました。
伏見宮、桂宮、有栖川宮とともに江戸時代の「四親王家(世襲親王家)」とされたのが

    閑院宮

です。直仁親王(東山天皇皇子)に始まり、大阪で竹本義太夫や近松門左衛門がまだ活躍していた宝永七年(1710)に立てられた宮家です。
天皇家というのは子どもが多すぎると困り、少なすぎても困ります。後継者の問題が重要だからです。後継者にゆとりがあれば生まれてきた子は(言葉が悪いですが)あまり存在意義がなくて、出家させられるのが常。しかし子どもが少ないと、後継予定者が若死にした場合など慌てることになります。実際、江戸時代にもそういう問題が起こったことがありました。出家した人が還俗して天皇になるのは基本的にダメなので、ちょっとした騒動になります。そこで天皇家でも、常に

    後継資格保持者

を確保しておきたい、という思いがあったのです。その方便として世襲親王家が置かれ、そのひとつが閑院宮というわけです。「親王」というのは「天皇に近い(親しい)王」で、今の皇室典範で言うなら天皇の孫までが親王(内親王)、それ以上血が薄くなると「王(女王)」になります。ところが、そのときの天皇と血が濃いかどうかに関わらず、この「世襲親王家」の男子は代々親王になることができました。
ただ、年月が経つにつれて皇族との縁は薄まりますから、明治になって世襲親王家の制度は廃されました。

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閑院宮家は今の京都御苑の南西隅にありました。東京奠都で宮家も公家たちも東に住まいを移したため、やがて建物もほとんどなくなりました。昔をしのぶものとしてはやはり京都御苑南西部(閑院宮の東)にある九条家の庭や拾翠亭などがあって気軽に立ち寄ることができますが、閑院宮邸跡も事前予約不要で入ることができます(無料)。
無料というのは今の私には何よりも魅力的なので(笑)、モネ展のついでに行ってきました。
明治になって宮家は東京に行きましたので、閑院宮跡地は明治16年に当時の

    宮内省

が京都支庁を建て、すぐ隣に所長官舎も併設しました。
今、官舎はありませんが、庁舎と庭園が残されていて、その庁舎の南側が京都御苑の歴史などの展示室になっているのです。
閑院宮の屋敷がそのまま残っているわけではないのですが、残り香だけは漂っていると思います。ある部屋には「化粧梁」や「かえる股」もあって、なかなかしゃれたものでした。
庭には築山や四阿があり、池も復元されています(あまりきれいではありませんでしたが)。西側に宮内省の

    所長官舎

があったのですが、その前にも優雅な庭が広がっています。ここも歩くことができます。一日に三回、係りの人が説明もしてくれますので、楽しめると思います。

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