遠足の帰り道 

うれしそうに長々と書いてしまいました。実際、こういう「団体行動」をする機会は今の私にはめったにないことなので、どうすればよいのか分からないのと同時にわくわくもするのです。
このあと私は京都御苑をぐるっとまわり、さらに四条河原町まで歩いて帰りました。
御苑内のことは別に書くとして、御苑を出た所からのことをメモしておきます。
この日は間ノ町口(閑院宮跡と九条家跡の間の切り通し)から丸太町通に出ました。しばらくは東洞院通を南へ歩きます。例によって、

    ♪丸竹夷二押御池
        姉三六角蛸錦


と口ずさみながらですので(笑)次はなんという通りかがすぐにわかります。丸太町、竹屋町、夷川、二条、御池・・。そうそう、この道を御池通まで来たのだから、通りの南にある吉忠ビル北西脇に建てられている

    在原業平邸跡

の碑にも挨拶くらいしておこう、と思いつきました。別に何でもない碑なのですが、業平の名前が書いてあるとやはり放っておけません。

在原業平邸跡(吉忠ビル)201637
↑在原業平邸跡の碑(奥が御池通です)

そして姉小路通まで来ると、もう足が勝手に東に向いて曲がってしまいます。ひとつ東は高倉通。姉小路高倉の南西側は京都府文化博物館です。といってもこの日は月曜日でしたので休館日。最初から中に入るつもりはありませんでした。ではなぜわざわざ高倉に出たのかというと、三条高倉の交差点から博物館の別館を眺めたかったからです。

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京都文化博物館の別館はとても立派な建物で、もともとは日本銀行京都支店。辰野金吾らによる設計です。辰野金吾といえば東京駅、日銀本店、第一銀行神戸支店などなどを設計したあまりにも有名な建築家です。その、日銀京都支店がのちに

    平安博物館

として長らく用いられ、その後京都府文化博物館の別館になったのです。私にとっては日銀京都支店でも、京都文化博物館でもない「平安博物館」が思い出の場所なのです。
このブログにも何度か書いたはずですが、私は20代の頃、ここでずいぶん勉強させていただきました。今何とか仕事ができている(できていない?)のはここでの経験が大きいのです。恩師のおひとり、山中裕先生に古記録(平安時代の貴族の漢文日記)の読み方の手ほどきをしていただいたからです。何も知らずに、最初は面食らうばかりだった私がなんとか他の人についていけるようになったのは先生のおかげなのです。午前中は研究会、午後は地下の古代学協会の部屋の隅で翌日の予習会をしました。
山中先生のような立派な方の謦咳に接することができただけでも幸せですのに、昼休みには先生が「一緒に昼食に行きましょう」と誘ってくださり、厚かましくも同行させていただいたのでした。先生はここと決めたら場所を変えるのがお嫌いで、いつも昼食は「三条堺町下ル」にある

    イノダコーヒ本店

でした。今回もつい立ち寄って、火災のためにあの当時とは姿を変えた店ではありますが、写真を撮ってしまいました。三条高倉は青春の思い出の詰まった場所です。このあと私はいささか感傷的になりながらかつて平安博物館に通うために歩き馴れた道を四条まで下ったのでした。

旧平安博物館201637
↑旧平安博物館(現京都府文化博物館別館)

イノダコーヒー本店201637
↑イノダコーヒ本店

イノダコーヒー本店暖簾201637
↑イノダコーヒの暖簾

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