京都御苑の北側(2) 

さらに東に行くと中山邸跡。近衛とか一条とか姉小路などというといかにもお公家さんという感じがしますが、中山さん、って、ご近所にありそうなお名前です。ここの中山さんは藤原北家の流れを汲む家柄で12世紀から始まる「羽林家」(摂家、清華家、大臣家につぐ家格。摂関や大臣にはなれない)です。幕末の当主は中山忠能。この人の娘の慶子が明治天皇のお母さんです。そして明治天皇はここで生まれたのです。中には入れませんが、柵越しに覗くことができます。祐の井(さちのい)は明治天皇の「祐宮(さちのみや)」の名にちなんだ井戸だそうです。

京都御苑中山家跡201637
↑中山邸跡

京都御苑中山家跡明治天皇生誕の地碑201637
↑明治天皇生誕の地碑

京都御苑中山家跡祐の井201637
↑祐の井

さらに東に行くと石薬師御門に出ますが、このあたりは鳥が多いそうで、バードウオッチングのお好きな方は楽しいでしょうね。ヤマガラ、ジョウビタキ、メジロ、シメ、シジュウカラなどがいるようです。
少し西に戻って現在の猿が辻から南へ行きます。この東側は、今は何もありませんが、江戸時代末期までは貴族の邸が姉小路、持明院、日野西、橋本、七条と並んでいました。橋本家跡のみ高札が立っています。というのも、ここで「皇女和宮」が生まれたからです。

京都御苑橋本家(皇女和宮生誕の地)説明板201637
↑皇女和宮生誕の地

もう少し東に入ると迎賓館が木々の間に隠れるように建っていますが、このあたりも昔は富小路、園、柳原などの貴族の邸宅のあったところです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

七条家の南隣に、幕末に貴族の教育施設として設けられたのが「学習院」。その名前は東京の学習院に(直接の関係はないにせよ)引き継がれています。

京都御苑学習院跡201637
↑学習院跡

ここに

    「桜松」

という不思議な木があります。松の木に桜が生えていてなかなかの奇木でした。しかし残念ながら松の木が枯れてしまいいまでは 横たわった桜だけが残っています(しかし花は咲くのです)。
京都御苑の北半分をぐるっと廻ってきました。
大宮御所の北と昔の正親町家の邸宅の間の道を東に行くと清和院御門です。今の京都御苑の門は江戸時代と場所が変わっているものが多いですが、この門も古くは今よりかなり西側にありました。つまり大宮御所、仙洞御所の敷地の真ん中あたりにあったのです。向きも北向きの門でした。蛤御門(新在家御門)も堺町御門も石薬師御門も今と違った位置にあったのです。
以前書きましたように、大宮御所、仙洞御所のあたりが平安時代の

    京極殿(土御門殿)

で、藤原道長の屋敷のあったところです。

土御門第跡
↑土御門第跡

このほか、京都御苑の北半分には染殿井があり、ついでですが清和院御門を出ると梨木神社や廬山寺もすぐそば、藤原道長の建てた法成寺あとは鴨斤高校敷地になっています。

法成寺跡の碑(荒神通 鴨沂高校壁)2016311
↑法成寺跡

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3820-7ecff1e8